伝教大師(最澄)の教義や教訓には、さまざまな重要かつ多くの課題(問題)が含まれています。「法華経の権実(仮の教えと真実の教え)」の問題にしても、「顕密一致(顕教と密教は一致するという主張)」にしても、「大乗戒壇(大乗仏教独自の戒律を授ける場)独立の宣言」にしても、いずれも仏教の歴史に大きな影響を与えています。しかしここでは、大師の仏教運動の一端として、大師の「日本民族観」——言い換えれば、大師のいわゆる「円機已熟(えんきいじゅく:完全なる教えを受け入れる人々の準備がすでに整っていること)」の思想について考えてみたいと思います。
お釈迦様(釈尊)は菩提樹の下で正しい悟り(正覚)を開かれてから、80歳で入滅(亡くなる)されるまでの50年間、人々(群生)をあわれんで中部インドのガンジス川(恒河)の南北を旅し、教えを説かれました。天台大師(中国天台宗の実質的開祖)の考えによれば、釈尊が悟られた内面の境地(内証の天地風光)は、極めて特別で聡明なごく一部の優れた弟子(上機)を除いて、一般の弟子たちには理解されませんでした。しかし、釈尊がこの世に現れた目的は、ご自身の内面の境地を自分だけで楽しむことでも、高遠で円満な哲理を語ることでもなく、ましてや聡明で理知的な一部の人だけに自身の内なる悟りが理解されることが本来の願い(本懐)でもありませんでした。
そうではなく、如来(仏)が最も喜ばれるのは、非常に理解の遅い弟子たち(鈍根)にも、如来の内面の境地(天地)がしっかりと理解され、味わわれることでした。当時の一般的な弟子たちの理知のレベルで如来の内なる悟り(内証)を理解できるようになるまでには、5年、10年という長い月日が必要でした。そしてその大多数は、釈尊が悟りを開いてから42年後に説かれた『法華経』の場で、初めて如来の命(真髄)に触れ、如来の内なる悟りに到達できたのです。
実に『法華経』が説かれた時に、仏の内なる境地がすべての弟子たちに理解され、釈尊と弟子たちが一体となって、同じ心で同じ真理に生きることができる「大歓交響(大いなる喜びの交響曲)」の世界が初めて見出されたのです。『法華経』が「諸経の王(経王)」とされる理由は、まったくこの点にあると言えます。これが天台大師の「天台宗」の主張する教えです。
つまり、仏が生きている時代(仏在世)でさえ、如来の内証を理解するには、文殊菩薩や弥勒菩薩といった特別な優れた者(上機)を除けば、少なくとも数年、長くて40年余りの仏の教化や訓練が施され、「機根(教えを受け入れる器)」を調熟させる必要があったのです。
このような考え方は天台大師の教えだけではなく、当時の中国や日本の仏教では概ね共通していました。「如来の教訓は人々の機根(性質・能力)に応じて異なる」とし、小乗仏教的な(段階を踏む)機根が常に存在することを認めました。そのため中国の人々も日本人も、インドの人々と同じように「小乗の機根」の存在を認め、それに伴って仏教にも「大乗(大いなる乗り物・すべてを救う)」と「小乗(小さな乗り物・個人の悟りを目指す)」の二つの教えが行われていたのです。
円機已熟(えんきいじゅく)の卓見
しかしながら伝教大師は、こう宣言しました。
「日本民族(機)は、ただちに如来の内なる悟り(円教=完全なる教え)を理解できる聡明な理知の持ち主である(熟)。すなわち、受け入れる準備はすでに整っている(機已に熟せり)」
これは仏教史において画期的な大宣言でした。大師は次のように語っています。
「我日本天下圓機已に熟し、圓教遂に興る、依憑する所等しかるべし」
(意訳:我が国、日本の人々はすでに完全な教えを受け入れる準備が整っており、今まさに円教が興ろうとしている。私たちが拠り所とすべきはまさにこの教えである。)
また、次のようにも叫ばれています。
「當今の人の機皆轉じて圓なり、都て小乗機無し、正像稍過き己に末法に太だ近し、法華一乗機今正是其時なり。」(『守護国界章』より)
(意訳:今の人々の機根はすべて円教に向いており、もはや小乗の機根を持つ者はいない。正しい教え(正法)やそれに似た教え(像法)の時代が過ぎ、まさに末法に非常に近づいている今こそ、『法華経』の完全な一つの教え(一乗)を受け入れる時である。)
さらに大師は、仏教の教えの取捨選択の基準を示し、「『法華経』が説かれた後においては、小乗や仮の教え(権教)を捨てて、真実の法華経と円教に拠るべきである」と論じています。
「夫れ賜はる所の白牛は朝に在り、何ぞ須らく三車の家業を得んや、一夕、何ぞ須らく除糞の價を論ぜんや」(『顕戒論』より)
(意訳:立派な白牛の車(完全な教え=大乗)がすでに朝には与えられているのに、どうして未熟な三車(羊車・鹿車・牛車=小乗などの不完全な教え)を求める必要があろうか。どうしていつまでも、低い立場の価値にとらわれている必要があろうか。)
民族を愛する宣言(愛民族的宣言)
これら「円機已熟(えんきいじゅく)」という大師の宣言は、極めて単純で大胆不敵な主張のように思われますが、実はそうではありません。それが仏教に及ぼした影響の大きさは驚くべきものであり、おそらくは伝教大師自身すら想像していなかったことでしょう。これは天台教学の改革であり、日本仏教の根底を成す主張とも考えられます。以下に思い当たる点をいくつか挙げてみましょう。
1. 東洋の覇者たる誇りと、大陸文化への対峙
「日本民族はインドや中国の人々よりも優れており、円機がすでに熟している」という大師の主張は、今日のように日本が発展した時代には当然の主張のように考えられがちです。しかし、伝教大師の時代を振り返ってみてください。大師がいかに民族を熱愛していたかが分かります。
中国の4千年の長い歴史の中で、その文化が燦然(さんぜん)と輝いたのは隋・唐の時代です。隋唐の文化は、中国文化が西域(シルクロード)やインド文化と接触・融合して咲き誇った美しい花でした。政治の権勢から言っても、宗教や文芸の発展から見ても、また現存する芸術作品から見ても、中国文化の黄金時代でした。
その文化が、船や人が行き来するたびに日本へ輸入されました。日本は当時、文字も独自にはなく、哲学を持たず、発達した宗教も持たない素朴な文化の所有者として、それを受け入れたのです。何を見ても珍しく、もたらされるものはすべて高度な文化の産物でした。奈良時代には国を挙げ、朝野(官民)を挙げて大陸文化に心酔したのも無理はありません。平安時代の初期もその余韻が強く残っていました。ともすれば、民族の目指すべき方向(帰趣)を見誤りそうになる時代でした。
しかし伝教大師は、このような時代思潮の中に立って、毅然として「我が民族は、インドや中国の人々にも勝る、完全な教えを受け入れることのできる上機(優れた機根)である」と宣言されたのです。私たちはこの時代に、大陸文化を深く理解している仏教徒の中で、これほどまでに民族を真に愛した宣言を、伝教大師を除いて他に聞くことはできません。また、このような民族を愛する主張を、どの時代においても聞くことは稀です。
2. 「大乗仏教の国」としての日本の確立
さらにこの「円機已熟」の言葉が、日本で行われるべき仏教にどのような影響を与えたでしょうか。もし大師が言う通りなら、小乗の教え(蔵教)や大乗の別の教えに対する経典・教義は、もはや日本民族が拠り所とするものとして必要ないことになります。「我が民族は、円教が説く経典、極言すれば『法華経(一乗教)』によって救われるべき民族であり、仮の教え(権教)や小乗の経典に拠るべき民族ではない」ということになります。後世、日本が「大乗相応の地(大乗仏教にふさわしい土地)」「大乗菩薩の国土」「東方の君子国」などと呼ばれるようになるのは、その源をたどれば完全に伝教大師に発しているのです。
3. 大乗三学(戒・定・慧)の独立
さらに、大師の「円機已熟」の思想が、仏教の「戒律(ルール)」の問題に及ぼした影響を考えてみましょう。
仏教は「戒(かい:いましめ)」「定(じょう:瞑想)」「慧(え:知恵)」の三学に分けることができます。小乗にも大乗にもこの三学はありますが、大乗の三学が完全に小乗から独立したのは伝教大師に始まります。「定」と「慧」の二学については、龍樹(りゅうじゅ)も天台大師も賢首(けんじゅ)大師も共に大乗を重んじました。しかし、僧侶の日常生活を支配する戒律、教団の規則である「戒律」だけは、彼らも小乗のいわゆる「二百五十戒(具足戒)」を守らなければなりませんでした。
もちろん、大乗仏教独自の戒律(『梵網経』『瓔珞経』などの菩薩戒)はありましたが、単に大乗戒を守るだけでは「比丘(びく:正式な僧侶)」とは呼ばれず、僧として認められませんでした。僧侶の実際の生活においては、「定慧」は大乗である華厳宗や天台宗の僧侶であっても、大乗の精神に基づいて「小乗の二百五十戒」を守る生活をしていたのです。奈良時代に鑑真(がんじん)和尚によって伝えられた戒律宗も、「大乗の精神で小乗戒を守る」というものでした。これは、戒(道徳)と律(規則)に対する正しい理解がなく、教団の規則と僧侶個人の徳を混同したことに基づくものでした。
しかし伝教大師は、「定も慧も大乗であるならば、戒も単なる大乗戒を受持すれば十分である」と主張し、弘仁9年(818年)の春には、ご自身が30年間守り続けてきた小乗の二百五十戒を捨て去ったのです。大師は次のように宣言しました。
「自令以後、聲聞の利益を受けず、永く小乗の威儀に乖け、即ち自ら誓願して二百五十戒を棄捨し已んぬ。」
(意訳:これ以降、声聞(小乗)の利益は受けず、永遠に小乗の作法(威儀)とは離れる。すなわち自ら誓願を立てて、二百五十戒を完全に捨て去ったのである。)
このような大胆な宣言は、僧侶の歴史の中で稀に見る言葉です。小乗戒を守りつつ隠れて生きた高僧はいたとしても、これほど明確に「捨戒宣言」を行った祖師・先徳を、伝教大師以前には聞きません。しかし、円教の民族観からすれば当然の結論でした。「小乗の機根がない日本民族には、小乗の戒律は必要ない」というわけです。
この大乗戒の主張により、「円頓の三学(完全な戒・定・慧)」が初めて備わっただけでなく、これが日本の僧侶の生活に与えた影響は驚くほど大きいものでした。仏教が伝わってから千数百年、「円頓の三学」に基づく日本の僧侶と、中国やビルマの僧侶、あるいは「小戒棄捨(小乗戒を捨てる)」の伝教大師の精神に基づいて発展した仏教を奉じる日本の比丘と、セイロン(スリランカ)やモンゴルの僧侶を比較して、その日常生活や僧侶の風習(僧風)にいかに違いがあるかは、一度彼らの生活を見た者であればすぐに頷けることでしょう。
法華と戒、そして伝教大師の独自性
さらに、「円機已熟」の思想が伝教大師の『法華経』観に及ぼした影響を考えます。
天台大師(中国)が考える『法華経』とは、『法華経』がそれ以前に説かれた円教の教理のほかに「新しく深遠な哲理」を持っているというわけではありません。『法華経』が優れている理由は、以前から説かれていた大乗・円教の教理が、人々の「機根の成熟」によって理解され、生活の中で体現されたという点、いわゆる「人法一致(人と教えが一つになること)」に『法華経』の命(本質)を認めるのです。「本来一つ(一仏乗)であるべき教えが、二つ(二乗)や三つ(三乗)に分かれている」という妄執(誤ったこだわり)が消え去り、「一仏乗」の自覚を与えるために仏はこの世に現れたのです。これが法華の「開顕(真実を明らかにすること)」です。二乗の妄執を開き一つにまとめる(開会)ところに、『法華経』の常なる説示を認めます。
しかし、伝教大師の「円機已熟」の主張から見れば、日本人の機根は「すでに熟している」ため、開会(段階を踏んで導くこと)を待たずに、ただちに円教(完全な教え)を説くことができるのです。これは、天台大師(中国)の『法華経』観とは異なる立場に立って観察していることになります。これが、中古の日本天台宗が中国天台宗から独立し、「五時八教の教相判釈」によらず「四重興廃」という独自の分類を立て、やがて日蓮教学が生まれる基礎となるに至ったのです。これは伝教大師の「円機已熟」の思想に源泉があると考えなければなりません。
さらに、伝教大師の言う「円教」の内容についてです。天台大師の円教と伝教大師の円教は、同じ名前で呼ばれていますが、その内容はあるいは「二つの異なる宗教経験」かもしれません。少なくとも伝教大師は、少年時代から唯識(ゆいしき)を学び、華厳(けごん)や起信論(きしんろん)を学んでいました。新しく翻訳された仏教の知識が深く、その後に天台教学を学んだという修学の道を歩んでいます。しかもその後には真言(密教)を学び、清涼(澄観)の書や『性霊集』なども読んでいます。伝教大師の学問的背景にこれだけの深い教養があるならば、「円機已熟」の「円」の内容が、のちの鎌倉仏教の源泉となり得る深い教義内容を持っていたと考えられるのです。
天台大師と伝教大師の融合と発展
華厳教学は、「仏の果地(悟りの結果の境地)」の世界(仏果海内)の法門です。悟りの世界からすべてを見渡し、すべてが円融(とどこおりなく溶け合っている)している天地を詳しく説くことを得意とします。「一切衆生(すべての生き物)の心の中に如来の智慧が備わっている」と説かれた華厳の文に重要な意義を見出します。
一方、天台教学は、悟りの円融を説くのはもちろんですが、「私たち衆生がこの天地風光(悟りの境地)を味わえるか、そこに入ることができるか否か」が重要な問題となります。『法華経』が尊いのは、二乗(不完全な悟りを目指していた人々)が、ついに仏の内なる悟り(内証)に入ることができた点にあります。天台大師について書かれた『法華文句』には、次のようにあります。
「天台大師は池深華大(池が深ければ蓮の花も大きい)と云はれてゐる。
夫れ蓮華の爲譬、多奇なる者也。體二一乗泥,出菩薩水。因華果華同時。有心一切有道。
實成釋尊示此寶珠。當知,一切衆生登一圓果。處華王界同舍那佛。坐蓮華臺」
(意訳:泥(一乗)の中から水(菩薩)を出て花を咲かせる蓮華は、因(花)と果(実)が同時であるという不思議な性質を持つ。心ある者はすべて悟りへの道がある。永遠の釈尊がこの宝珠を示された。まさに知るべきである、すべての生き物が一つの完全な悟りに至り、尊い世界で仏と同じように蓮の台に座るのだということを。)
比叡山(山家)の「円機已熟」の思想は、華厳の「仏の果地を中心とした教え」と、天台の「人と教えを開会する教え」、すなわち教え(法)を中心とした華厳と、人(機)を中心とした天台の教義が、伝教大師によって融合・昇華され、その深い内観からほとばしり出た提唱であり、主張であると思います。
円機已熟の淵源(根本)
日本民族の持つ国民性をよく考え、また像法から末法へと近づく時代(人文が発達した時代)をよく観察して日本民族の性質を考えるならば、こう言えます。
日本民族は、釈尊が『法華経』の真実を明らかにした後においては、人間性(人性論)をどのように扱うべきかについて聡明な知恵と理解を持っています。自ら不完全な悟り(二乗の妄執)にこだわることもなく、完全な教えを受け入れる準備が整っている(円機純熟せり)と信じてよいのです。また、そのように考えても何ら差し支えないほど、上等で優れた機根の持ち主であるというのです。
伝教大師の教えに込められたこの深い暗示を知るために、私たちは大師の言葉をじっくりと味わい、読み解いていきたいと思うのです。

