聖語
最上の真理を見ないで
百年生きるよりも、
最上の真理を見て
一日生きることのほうが
すぐれている。
法句経
釈迦院コラム
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釈迦院コラム
琴の弦のたとえ|頑張りすぎる人への仏陀の教え
一生懸命に励んでも疲れ、続けることまで嫌になるときもあります。増支部『ソーナ経』の琴の弦のたとえから、精進の調え方を味わいます。 -
釈迦院コラム
キサーゴータミーと芥子の種|大切な人を失った悲しみ
大切な人を亡くしたとき、その死をすぐには受け入れられないことがあります。キサーゴータミーと芥子の種の説話から、死と無常、愛別離苦を味わいます。 -
釈迦院コラム
筏のたとえ|仏法を学ぶ本当の目的とは
仏教の本を読んだり、法話を聞いたりして、心に残った言葉はないでしょうか。中部経典『蛇喩経』の筏のたとえから、仏法を学ぶ目的を味わいます。 -
釈迦院コラム
盲亀浮木のたとえ|人間に生まれることの尊さ
朝のいつもの一日のなかで、人間に生まれていることをあらためて思います。相応部経典の盲亀浮木のたとえから、その得がたさと、仏法に出遇うことの尊さを味わいます。 -
釈迦院コラム
毒矢のたとえ|お釈迦さまが教えられた、今なすべきこと
夜、布団に入ってからも、過ぎた出来事を思い返して眠れなくなることはないでしょうか。中部経典の毒矢のたとえから、お釈迦さまが教えられた今なすべきことを味わいます。 -
釈迦院コラム
布施の精神と教育の本質
一昔前と違い、学校教育だけではなく、多くの企業で、新しく仲間となる社員たちの教育に力を入れ、育成プログラムが用意されています。 あらためて教育の本質について考えてみましょう。 教育の本質 「教育」という言葉は、比較的新し...
因果の理法・運命の法則
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因果の理法・運命の法則
女神の怒りには、法則がない
ギリシャ神話では、入浴を見てしまっただけで鹿にされたり、目を失ったりします。そこにあるのは神の怒りだけで、予測できる法則はありません。科学も因果も、法則を前提にしています。 -
因果の理法・運命の法則
過去は変えられなくても、縁は変えられる
宿命論は、因さえあれば無条件に結果が来る、と考えます。因果の道理は、因と縁が結びついて初めて結果が来る、と教えます。炭も、条件がそろえばダイヤモンドになります。 -
因果の理法・運命の法則
オイディプス王が教えてくれる、宿命論
ソポクレスの『オイディプス王』では、逃れようとした予言がすべて実現します。古代ギリシャは、神が与えた運命には耐えるしかない、と考えました。 -
因果の理法・運命の法則
最大の敵も、最強の味方も、心
法律は体の行為を主に問います。ブッダは、口や体より、心で思う罪のほうが重いと説きました。運命は、心の向き一つで決まります。 -
因果の理法・運命の法則
誰も見ていなくても、善い種は咲く
因果を知った人は、見つからなければ悪いことをしてもよい、とは考えません。七仏通戒偈は、悪をなさず、善を行い、心を浄めることだと伝えています。 -
因果の理法・運命の法則
恨みは、恨みでは静まらない
善いことをしても、すぐ幸せが来ないことがあります。悪いことをしても、しばらく無事なことがあります。一場面だけで因果を判断すると、恨みだけが残ります。
天台宗の教え
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天台宗の教え
台密のお話 [五] 秘密の意義
密教の「秘密」は何を意味するのか。台密の立場から、その精神をわかりやすく解き明かします。 -
天台宗の教え
台密のお話 [四] 台密を学ぶための経典と注釈書(経疏)
台密を学ぶための経典と疏。叡山教学の伝統に沿った読み方の入口を示します。 -
天台宗の教え
台密のお話 [三] 顕密二教の判(教えの分類)
顕密二教の判。天台教学における教えの段階と、台密の位置づけを読み解きます。 -
天台宗の教え
台密のお話 [二] 三密(有相と無相の三密)
有相三密と無相三密。台密における身口意の修行の意味を、実践叢書の記述に沿って紹介します。 -
天台宗の教え
台密のお話 [一] 顕教と密教
顕教と密教は同じ釈尊の教え。浅深の差を、比叡山台密の視点からわかりやすく解説します。
唯識について
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唯識
心が現れる二つの変わり方:因能変と果能変
第八識を初能変と呼ぶ理由と、種子から現行へ転ずる因能変、自体分から見分と相分が現れる果能変を分けます。 -
唯識
その認識は正しいか:現量・比量・非量
四分で分けたはたらきが正しい認識か誤りかを、現量・比量・非量で見ます。相分は量に入らず、見分の量は識によって違います。 -
唯識
心のはたらきを四つに分ける:相分・見分・自証分・証自証分
識のはたらきを、相分・見分・自証分・証自証分の四つに分けます。八識はみなこの四つを備え、心所は実の心所だけが備えます。 -
唯識
十八界(じゅうはっかい)の分類:根・境・識を十八に開く
十二処では心のはたらきの所依と所縁は分かりますが、対象を縁じる心そのものはまだ細かく分けられていません。そこで根・境・識を開いて十八界とします。界はサンスクリットの駄都の訳で、能持という意味です。 -
唯識
十二処(じゅうにしょ)の分類:心が生まれる十二の門口
サンスクリット語のアーヤタナ(Āyatana、音写すると阿野怛那)は、新しい翻訳では「処(しょ)」と訳されます。意味は「心と心所が生長する門」です。心とそのはたらきが、そこを入り口として生じ、伸びていく門口を指します。

