聖語
最上の真理を見ないで
百年生きるよりも、
最上の真理を見て
一日生きることのほうが
すぐれている。
法句経
釈迦院コラム
-
釈迦院コラム
毒矢のたとえ|お釈迦さまが教えられた、今なすべきこと
夜、答えの出ない問いを繰り返すあいだに、いま考えなければならない大事なことが脇に置かれることがあります。中部経典の毒矢のたとえから、お釈迦さまが説かれたことを味わいます。 -
釈迦院コラム
布施の精神と教育の本質
一昔前と違い、学校教育だけではなく、多くの企業で、新しく仲間となる社員たちの教育に力を入れ、育成プログラムが用意されています。 あらためて教育の本質について考えてみましょう。 教育の本質 「教育」という言葉は、比較的新し... -
釈迦院コラム
八代観光有名スポット「釈迦院御坂遊歩道」3333段の日本一の石段
釈迦院御坂遊歩道の読み方は「しゃかいんみさかゆうほどう」 釈迦院の表参道「御坂」に続く、この壮大な石段は、熊本が誇る日本一の石段で、八代市の観光スポットとしても有名で、よくおすすめされる場所です。 段数は3333段に及び... -
釈迦院コラム
ぽっくり寺の意味と参拝の意義
金海山大恩教寺釈迦院は、昔からぽっくり寺と言われています。 ぽっくりと聞くと「参拝したら突然死する寺」をイメージする人もいるそうですが、そうではありません。 ぽっくり寺は、「信仰すれば長患いせず、無病息災で生きられるとい... -
釈迦院コラム
豪潮律師と釈迦院の関係
今回は、熊本県の道徳の教科書にも登場する「豪潮律師」と釈迦院の関係を紹介いたいます。 (画像出典:仙厓禅師墨林冊「豪潮律師肖像画」) 豪潮律師とは 誕生と幼少期 豪潮(ごうちょう)は、熊本県玉名郡山下村(現在の玉名市)の... -
釈迦院コラム
人生を成功に導く「定数と変数」の法則
皆さんは、日々の生活の中でこんな悩みを抱えていませんか? 今回は、USJと丸亀製麺をV字回復させた、現代最強のマーケターとして知られる森岡毅さんから、人生を成功に導く重要な考え方をご紹介します。 成功への近道:数学の考え...
因果の理法・運命の法則
-
因果の理法・運命の法則
生まれたときから、運命は決まっているのか
古代インドのマッカリは、善行や修行でも、解脱の時期は変えられないと説きました。仏教は、今の行いがこれからの条件になると見分けます。 -
因果の理法・運命の法則
なぜ今、古代インドの思想を知るのか
不幸が自分の行いの結果ではないように見えるとき、その運命は誰が作ったのか。二千五百年前のインドは、その問いを自由に論じていました。 -
因果の理法・運命の法則
なぜカントは、「来世はなければならない」と主張したのか
善人が努力に見合う幸福を得、悪人が報いを受けるには、七、八十年の人生では短すぎます。カントは、善と幸福を結びつける来世がなければならないと論じました。 -
因果の理法・運命の法則
無実の罪で死刑になっても、正しく生きるべきか
ソクラテスは無実の罪で死刑になっても、真実を語ることをやめませんでした。プラトンは、その報いは来世で受けると説き、正しく生きる意味を問います。 -
因果の理法・運命の法則
ソクラテスは、なぜ大衆から煙たがられたのか
「どうすれば幸せになれるのか」を真剣に問い続けたソクラテスは、魂を知ることを促しました。街頭の問答は自惚れを照らし、なぜ大衆の反発を招いたのかを考えます。 -
因果の理法・運命の法則
正しい人が、なぜ不遇な人生を終えるのか
孔子の弟子・顔回と大盗賊・盗跖をめぐる司馬遷の疑問。「善人は幸せに、悪人は不幸に」という道理が、現世だけでは見えない理由を考えます。
天台宗の教え
-
天台宗の教え
台密のお話 [五] 秘密の意義
密教の「秘密」は何を意味するのか。台密の立場から、その精神をわかりやすく解き明かします。 -
天台宗の教え
台密のお話 [四] 台密を学ぶための経典と注釈書(経疏)
台密を学ぶための経典と疏。叡山教学の伝統に沿った読み方の入口を示します。 -
天台宗の教え
台密のお話 [三] 顕密二教の判(教えの分類)
顕密二教の判。天台教学における教えの段階と、台密の位置づけを読み解きます。 -
天台宗の教え
台密のお話 [二] 三密(有相と無相の三密)
有相三密と無相三密。台密における身口意の修行の意味を、実践叢書の記述に沿って紹介します。 -
天台宗の教え
台密のお話 [一] 顕教と密教
顕教と密教は同じ釈尊の教え。浅深の差を、比叡山台密の視点からわかりやすく解説します。
唯識について
-
唯識
その認識は正しいか:現量・比量・非量
四分で分けたはたらきが正しい認識か誤りかを、現量・比量・非量で見ます。相分は量に入らず、見分の量は識によって違います。 -
唯識
心のはたらきを四つに分ける:相分・見分・自証分・証自証分
識のはたらきを、相分・見分・自証分・証自証分の四つに分けます。八識はみなこの四つを備え、心所は実の心所だけが備えます。 -
唯識
十八界(じゅうはっかい)の分類:根・境・識を十八に開く
十二処では心のはたらきの所依と所縁は分かりますが、対象を縁じる心そのものはまだ細かく分けられていません。そこで根・境・識を開いて十八界とします。界はサンスクリットの駄都の訳で、能持という意味です。 -
唯識
十二処(じゅうにしょ)の分類:心が生まれる十二の門口
サンスクリット語のアーヤタナ(Āyatana、音写すると阿野怛那)は、新しい翻訳では「処(しょ)」と訳されます。意味は「心と心所が生長する門」です。心とそのはたらきが、そこを入り口として生じ、伸びていく門口を指します。 -
唯識
五蘊(ごうん)の分類:「私」は仮の集まりにすぎない
サンスクリット語のスカンダ(skandha、塞建陀)は、新しい翻訳では「蘊(うん)」と訳されます。同じ種類のものを寄せ集め、一つにまとめたもの、という意味です。五蘊は、その集まりを五つに分けたものです。

