「この不幸は、自分のせいではない」
そう感じたとき、心は次の問いを探します。では、誰がこの運命を作ったのか。それがわからないと、誰を恨めばいいのかもわかりません。
ここまで見てきた「運命」には、三つの意味がありました。人間を超えた力から与えられるもの。原因なくやってくる運。自分の行いが作り出すもの。
意味が三つあるということは、運命の決まり方についての考えも、三つあるということです。
その考えを比べるために、二千五百年ほどさかのぼって、紀元前五世紀のインドを訪ねてみましょう。
不幸の原因が、わからないとき
「そんな昔の話を、今さら知る必要があるのか」と思うかもしれません。でも、哲学の歴史には、大きな利点があります。
哲学者は二千年以上、さまざまな問題に答えを出してきました。常識と真っ向からぶつかる説も、珍しくありません。
近代哲学の父と呼ばれるフランスの哲学者デカルト(1596〜1650)は、どんな奇妙な主張も、すでに過去の誰かが唱えている、と言っています。
裏を返せば、人間の頭で考えつくことは、すでに哲学の本に出尽くしている、ということです。
これからどんな思想が生まれても、過去の思想と同じ種類か、その組み合わせであることが多い。
だから哲学史を学ぶと、まだ名前のついていない未来の説にも、見当がつくのです。
昔の哲学を読むと、これからの考えが見える
紀元前五世紀は、ドイツの哲学者ヤスパースが「枢軸の時代」と呼んだ、世界史の大きな転換期です。
インドでも、中国でも、ヨーロッパでも、人類の土台になる思想家が、足並みをそろえるように現れました。
ギリシャにはソクラテスとプラトン。中国には孔子。インドにはブッダ。運命についての思索も、この時期に出そろっています。

インドが、論理を育てた理由
インドに注目する理由は、まだあります。ゼロを発見した国だけあって、インドの人は計算に強い、とよく言われます。得意なのは数学だけではありません。
「中国人は修辞的、日本人は情緒的」と言われることがあるのに対し、「インド人は論理的」と言われることがあります。
言い方には偏りもありますが、歴史の事実として、論理学を築いたのはギリシャとインドだけです。哲学が生まれた地も、この二つだけです。
インドとヨーロッパは、言語や思想にも似たところがあり、同じような問題が論じられています。
インドの思想史をたどると、論理的な頭が考えつく意見を、先に見ることができるのです。
先の見えない今こそ、古い問いから新しい見通しを受け取るときではないでしょうか。
六人の思想家が、残したもの
当時のインドは、思想の自由が例外的に保障されていました。諸王が開いた哲人の討論会では、どんな意見を述べても処罰されなかった、と伝えられています。
社会学者マックス・ウェーバーは、人類の歴史のなかで、この時代のインドほど思想の自由が認められていた場所は、ごく近い時代のヨーロッパ以外になかった、と評しています。
伝統のバラモン教を否定する思想家が次々に現れました。道徳を否定する人、唯物論者、快楽を求める人、すべてを疑う人、苦行に生きる人。
まさに百家争鳴です。
その自由思想家の多くは、整理された著作を残しませんでした。主張は主に仏典から知ることができます。
仏典とは、ゴータマ・ブッダ、つまりお釈迦さまの言葉を書き記したものです。
各地でパーリ語やサンスクリット、チベット語に訳され、日本に伝わったのは、中国が総力で訳し終えた漢訳仏典です。
仏典には、有力な指導者六人の名が挙がり、「六師外道(ろくしげどう)」と呼ばれています。外道は、仏教の外で道を説いた人、という意味です。
次の記事から、一人ずつ、その主張を聞いていきましょう。

ゼロを発見したインドは、数学だけではなく、論理学と哲学でも、二千五百年前から世界の問いを先に歩いていました。
古い討論を聞くことは、今の「なぜ私だけが」に、比べるための鏡を持つことです。
