誰も見ていなくても、善い種は咲く

因果の理法・運命の法則

人の目がなくても、善い種は花を咲かせる

誰も見ていない場所で、あなたはどんな種をまいていますか。

因果の道理を知った人は、そこが一番静かな試験場だと知っています。

見られていなくても

不幸や災難は、誰しも来てほしくありません。自因自果を知った人は、他人が見ていようと見ていまいと、悪を慎みます。

もしもあなたが苦しみを嫌うならば、あらわにも、秘密にでも、悪い行ないをなすな。

『ウダーナヴァルガ』の言葉です。「見つかりさえしなければ、悪いことをしてもよい」とは考えません。

人間の目をごまかせても、悪を犯したならば必ず報いがあるからです。

悪いことをしたあと、気をゆるさない

ずっと昔にしたことでも、遠いところで秘密にしたことでも、気をゆるすな。それの報いがあるのだから、と仏典は繰り返します。

これは、過去をいつまでも自分で鞭打つための言葉ではありません。隠した悪は消えていない、と知って、これ以上を増やさないための注意です。

見られていなくてもと悪いことをしたあと、気をゆるさないの関係を示す図

善いことをしたあとは、安心してよい

反対に、誰も見ていなくても、よい種をまけば必ず幸せの花が咲きます。因果を知った人は、目先の結果に一喜一憂せず、堅実に努力するようになります。

この世で善いことをしたならば、安心しておれ。人に知られずにしたことであっても、安心しておれ。それの果報があるのだから。

褒められなくても、記録に残らなくても、善い行いは残っています。評価表の外側で、あなたの種は生きています。

七仏通戒偈

ブッダの教えを一言で言えば、廃悪修善(はいあくしゅぜん)。悪をやめ、善を修める、です。

次の句は七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)と呼ばれ、歴代の仏が共通して説いた教えとして有名です。

善いことをしたあとは、安心してよいと七仏通戒偈の関係を示す図

すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること。これが諸の仏の教えである。

今日、秘密にできる善が一つあるなら、それを選んでみてください。誰も知らない種ほど、あなた自身が知っている財産になります。