金海山大恩教寺釈迦院について

山号は金海山、寺号は大恩教寺、院号は釈迦院。

西の比叡と称され、熊本県八代市にある天台宗の寺院です。(天台宗についてはこちらをご覧ください。

釈迦院と呼ばれています。

釈迦院情報

住職:作村尚範(さくむら しょうはん)

電話番号(住職の携帯番号)09057415993
(御用の方はお電話ください。)

定例際:毎月8日(4月8日は遷仏会法要)

※毎週土曜日と日曜日は、特に急用がない限り、午前10時から午後3時まで本堂を開けております。この時間帯は、ご参拝や御朱印の授与が可能です。

住所:〒869-4401 熊本県八代市泉町柿迫5536

アクセス
【美里町側】※徒歩ルート
釈迦院御坂遊歩道(3,333段日本一の石段)での参拝
【泉町側】
国道443号➡県道52号➡市道経由で、車での本堂下まで参拝可能
※4月8日の花まつり時は、市道が一方通行になるのでご注意ください

別の動画はこちらからYouTubeにて御覧ください。
【空撮】公式『金海山大恩教寺釈迦院』

住職挨拶

平成30年より代理住職となり、現在は正式に住職として釈迦院の復興維持管理、参拝者へのご祈願をさせていただいております。

毎月8日に、朱印可能のご案内をしておりますが、土曜、日曜、祭日も現在可能になっております。前もってお電話頂ければ助かります。

3333段の石段を登ったあとに参拝いただければと思います。

日常の忙しい時間を少しのあいだ忘れ、歴史と風情を堪能していただけますと幸いです。

多くの皆さまに仏縁を結んでいただけますよう、ご参拝を心よりお待ち申し上げております。

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メディア掲載履歴

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縁起:釈迦院の歴史

寺伝によれば、釈迦院は延暦18年(799年)桓武天皇の勅願により、弉善大師(しょうぜんたいし)が草創したといわれています。弉善大師は幼少の頃は薬蘭といい、延暦18年の大地震の際に大行寺山頂から金色の釈迦如来像を体得し、草案に祀ったそうです。

薬蘭の祈祷が、桓武天皇の病気平癒に効果があったので、薬蘭は天皇から「弉善大師」の称号を賜ったと伝えられています。

寺に伝わる木造僧形神坐像の像底には、仁治3年(1242)の年紀とともに、「釈迦院山王二宮御垂跡形像」云々の墨書があり、釈迦院の名称が13世紀には使用されていたことがわかります。

釈迦院は、昔は天台宗叡山正覚院(現在は跡地のみ)の末寺として、大行寺山の頂上近くに所在し、かつては坊数75坊、末寺49院が立ち並び、西の高野山(現在は西の比叡)とも称された一大霊場だったといいます。

本尊は釈迦如来で天台宗・真言宗・禅宗・浄土宗の4宗兼学で、文政3年(1446)には、比叡山延暦寺の末寺でした。しかし、天正年間(1573〜1592)に、キリシタン大名の小西行長の寺院焼き討ちにあい、寺坊は焼き尽くされ、社領も没収され衰退してしまいました。その後加藤忠広公の時代に再建され、その当時に建てられた山門が今も残っています。

この釈迦院は、信仰すれば長患いすることがないとのことで「ぽっくり寺」とも呼ばれています。

現在は、多くの人の手によって環境整備などが進められており、例年4月8日の花祭りには熊本県内外から多くの参拝客が訪れ、大変賑わいます。

年中行事と御朱印についてはこちらをお読みください。

弉善大師(しょうぜんたいし)

木造弉善大師坐像

伝承によれば、弉善は、宝亀8年(777)肥後国八代郡北種山梅林(現:熊本県八代市東陽町)に生まれ、幼名は薬蘭(やくらん)と呼ばれました。

(東陽町についてはこちらをクリックしてください。)

幼くして出家し、霊感により大行寺山に庵を結びました。桓武天皇の病を加持祈祷により治癒した効験により寄進を受け、釈迦院の堂塔が建立され、桓武天皇より大師号を授かったとされます。

昭和3年(836)、60歳で没したといわれています。

金海山釈迦院の歴史年表(略)

  • 799(延暦18)
    弉善大師により創建されたと伝わる。
  • 1108(嘉承3)
    火災により、本堂・鐘楼・坊社が消失したと伝わる。その後、寺勢を取り戻し天台系寺院として発展。最盛期には、寺領三三八〇町、諸坊七五あったと伝わる。
  • 1242(仁治3)
    仏師長實により、木造日吉山王神坐像が制作される。同じ時期に木造弉善大師坐像や銅像釈迦如来立像も制作される。
  • 1443(嘉吉3)
    阿蘇神社本堂再建法要の舞師を釈迦院が務める。この時期に阿蘇氏との関係をもつ。
  • 1538(天文7)
    八代古麓での千部会に釈迦院衆徒が参加。
  • 1553(天文22)
    相良氏重臣の上村頼興が釈迦院を参詣。この時期に相良氏との関係をもつ。
  • 16世紀末
    小西行長領の時代に衰退。
  • 1620(元和6)
    加藤忠広より寺領として六二石の寄進を受ける。
  • 1659 (方治2)
    奥州の禅僧・禅瑞が来住。(寛文元年ともいわれる)堂宇再建や八町四方の年貢免許地獲得など、再建に尽力。
  • 1677(延宝5)
    細川綱利より寺領として三〇石の寄進を受ける。
  • 1693(元禄6)
    禅瑞が離山。釈迦院は再び天台寺院となる。以後、幕末に至るまで細川歴代藩主より寺領寄進。
  • 1871(明治4)
    住職帰農により廃寺。本尊は熊本古町の阿弥陀慈寺に移される。明治18年戻る。
  • 1889(明治22)
    釈迦院、再建される。
  • 1921(大正10)
    「本堂再建記念出開帳」が行われる。
  • 1922 (大正11)
    地元有志の支援により、堂宇改築が成り、記念法要が行われる。以降、参詣登山者で賑わう。
  • 1987(昭和62)
    本尊の銅像釈迦如来立像などが熊本県指定重要文化財となる。
  • 2014(平成26年)
    新住職のもと、釈迦院の再復興事業が始まる。

重要文化財の仏像

1987年(昭和62年)、これらの貴重な仏像群は、まず泉村(現在の八代市泉町)によって文化財に指定されました。その価値が認められ、その後、熊本県でも重要文化財として指定されることとなりました。

以下紹介いたします。

県と泉町指定の重要文化財

以下全て、鎌倉時代の制作です。

  • 銅造釈迦如来立像
  • 僧形神坐像(2体)
  • 女神坐像(2体)
  • 男神坐像
  • 僧形八幡神坐像
  • 僧形神坐像

和泉村指定の重要文化財

木造如来立像のみ平安時代の制作で、その他は鎌倉時代の制作です。

  • 木造如来立像
  • 木造僧形文殊菩薩像
  • 木造十一面観音立像
  • 木造葬善大師坐像
  • 木造僧形文殊菩薩像

日本一の石段

釈迦院が所在する大行寺山は、八代市と下益城郡美里町の境に位置しています。

また、美里町側からの参道は中世以来表参道でしたが、平成の大合併による美里町が誕生する以前の中央町が町おこしのために釈迦院の御坂に作られたものです。

昭和55年(1980)に着工し、8年の歳月をかけて昭和63年(1988)に完成したもので、当時熊本県知事であった細川護熙の「日本一づくり運動」に呼応し、それまでの羽黒山(山形県)の2446段を抜いて、3333段の日本一の石段として整備されました。

石段に世界各国の名石を使用していることが特徴で、熊本県の熊本石をはじめ、中国、韓国、インド、ロシア、アメリカ、ブラジル、南アフリカの石も使用されています。

石段を登り、石畳の道を進んだ先に、釈迦院がございますので、皆様のご参拝をお待ち申し上げます。