今回は、一即一切について、説明します。
一即一切とは、ひとつのことが、全体のことにつながっている、という意味です。
偶然とは
私たち人間は日々、様々な出来事の「原因」を考えますが、ときどき原因もなく起きた「偶然」として処理してしまうことがあります。
しかし、哲学者のヒュームが『人間知性研究』で指摘したように、私たちが「偶然」と呼ぶものは、実は「真の原因」が見えていないだけかもしれません。
では、なぜ真の原因を見つけることは難しいのでしょうか?
それは、この世界のあらゆる出来事が、無数の要因が複雑に絡み合って生じているからです。一つの結果は、決して一つの原因だけから生まれるものではありません。
この原理を理解するために、身近な「米」を例に考えてみましょう。
米が教えてくれる「縁」の深さ
米ができるためには、まずモミダネ(種)が必要です。これは直接的な原因です。しかし、種があるだけでは米は育ちません。日光、水、空気、土、肥料など、適切な環境が整って初めて、稲は育つことができます。
科学ではこれらの環境要因を「条件」と呼び、仏教哲学では「縁(えん)」と呼びます。
この「縁」の概念は、私たちの想像をはるかに超える広がりを持っています。
太陽から月までの意外な関係性
たとえば、46億年前に太陽が誕生していなければ、稲は光合成ができません。また、地球の大きさが現在と異なれば、適切な大気を保持できず、生命の存在自体が難しくなっていたでしょう。
さらに驚くべきことに、月の存在も米の生育に重要な役割を果たしています。
月の重力は地球の自転速度を調整しており、もし月がなければ、地球は8時間で1回転する高速自転をしていたはずです。
そうなれば、強風が常に吹き荒れ、現在のような植物の生育は不可能だったでしょう。
一即一切:宇宙規模でつながる生命
私たちの銀河から230万光年離れたアンドロメダ銀河でさえ、地球上の生命と無関係ではありません。
現代物理学は、次のように宇宙の姿を教えます。
それは、一つ一つの原子(一)が、バラバラに存在するのではなく、他のすべての原子(多)と深く結びついているということです(一即多)。
天文学者エディントンは、「電子が振動すると、宇宙が揺れ動く」と詩的に表現しました。これは、小さなミクロの世界の出来事が、全体的なマクロの世界に影響を与えるということ。
つまり地球上で起こるどんなに小さな出来事(一)も、実は宇宙全体(一切)と無関係ではありません。
私たちを取り巻くすべてのものは、互いに影響しあい、複雑に絡み合って存在し、これを一即一切と言うのです。
今日展開されている宇宙論が強く主張する点は、われわれの日常的な状況は、かなた宇宙の彼方の部分がなければ、存続し得ないだろうということだ。(中略)われわれの日常的な経験は、最もささいな点に至るまで、巨大なスケールをもつ宇宙の特性と密接に結びついているので、この両者を切り離して考察するのは、ほとんど不可能だ
出典:ラリー・ドッシー著『時間·空間·医療-プロセスとしての身体』
つまり、「一即一切」とは、
- 個々の要素(一)が、全体(一切)の一部であり、全体と繋がっていること
- 小さなものが、大きなものに影響を与え、また、大きなものから影響を受けていること
- すべてのものは、相互に依存し、切り離せない関係にあること
ということです。
すべては「縁」でつながっている
一粒の米を育てる環境や条件(縁)は、私たちの想像をはるかに超えて、宇宙全体に広がっているのです。
これは米に限った話ではありません。この世界に存在するすべてのものは、周囲との関係性の中で存在しており、決して独立して存在しているわけではないのです。