真理は、わからないままなのか?サンジャヤ・ベーラッティプッタの論法

因果の理法・運命の法則

サンジャヤの懐疑と、仏教の因果の道理

何が本当なのか、わからない

世の中には、同じ問題について、まったく違う意見が出されることがあります。

それぞれにもっともらしい理由があると、どちらが正しいのか判断に迷うこともあるでしょう。

古代インドにも、さまざまな思想家が真理について論じるなかで、明確な答えを示そうとしなかった人物がいました。

サンジャヤ・ベーラッティプッタです。

サンジャヤは、死後の世界や行為の報いについて尋ねられても、あるともないとも断言しませんでした。

どれも正しそうで、決められない

古代インドでは、世界や人生について、さまざまな思想家が議論を交わしていました。

「世界には始まりがあるのか」「霊魂と身体は同じものなのか」「人は死んだあとも存在するのか」など、その問いは多岐にわたります。

思想家たちは、それぞれの考えを説いていましたが、同じ問題について正反対の答えが示されることもありました。

真理が一つであるならば、互いに矛盾する主張が、どちらも正しいということはありません。

こうした時代に現れたのが、サンジャヤ・ベーラッティプッタです。

サンジャヤは、他の思想家のように、自分の答えを明確に示そうとはしませんでした。

死後の世界や行為の報いについて問われても、肯定も否定もせず、判断を避けたのです。

サンジャヤのうなぎ問答

サンジャヤは、「善い行いにも悪い行いにも報いはあるのか」「死後の世界はあるのか」と尋ねられても、はっきりした答えを示しませんでした。

どれも正しそうで、決められないとサンジャヤのうなぎ問答の関係を示す図

そうであるとも、そうでないとも言わない

このように、肯定も否定もせず、判断を避けるのがサンジャヤの特徴でした。

その答え方は、つかまえようとしても逃げてしまううなぎにたとえられ、「うなぎ問答」と呼ばれています。

サンジャヤの弟子には、サーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)がいました。二人は、のちにブッダの二大弟子となった人物です。

仏典によると、二人はブッダの教えに出会い、サンジャヤにも一緒に帰依するよう勧めました。しかし、サンジャヤは応じませんでした。

二人が250人の修行者を連れてブッダのもとへ向かうと、サンジャヤは血を吐いたと伝えられています。

すべてを認めない、という断定

サーリプッタがブッダの弟子となってから半月ほどたった頃、サーリプッタの甥であるディーガナカが、ブッダを訪ねてきました。

ディーガナカは、自分の考えをこう述べました。

私は、何も認めません

するとブッダは、「何も認めないという、その考えも認めないのか」と問い返しました。

すべてを認めないのであれば、「何も認めない」という自分自身の主張も認められないことになります。

ブッダはさらに、さまざまな見解に執着することの問題を説きました。教えを聞いたディーガナカは理解を深め、ブッダに帰依したと伝えられています。

「どんな考えも認めない」と主張するなら、その主張自体をどう考えるのかという問題が生じます。

他人の考えを疑うことはできても、自分自身の考えだけを疑わずにいることはできないのです。

さまざまな思想と、仏教の因果の道理

ここまで、古代インドの五人の思想家を紹介してきました。

マッカリは、人間の運命は定められており、自分の努力では変えられないと説きました。

プーラナは、善い行いにも悪い行いにも報いはないと主張しました。アジタは死後の存在を否定し、パクダは世界が七つの不変の要素から成ると考えました。

そしてサンジャヤは、死後の世界や行為の報いについて問われても、明確な答えを示しませんでした。

それぞれの主張は異なりますが、いずれも仏教が説く因果の道理とは違う立場にあります。

仏教では、善い行いは善い報いを、悪い行いは悪い報いをもたらすと教えられています。

ただし、善いことをすればすぐに幸せになり、悪いことをすればすぐに不幸になるという、単純な話ではありません。

行いがどのような結果をもたらすかは、さまざまな条件にも左右されます。

また、現在の運命がすべて生まれる前から決まっているわけでもありません。今の行いも、これからの運命に関わっていくのです。

参考|古代インドの五人の思想家と主な思想

ここまで紹介した五人の思想家の主張をまとめると、次のようになります。

思想家主な思想
マッカリ宿命論・決定論
プーラナ善悪の行為の報いを否定する立場
アジタ唯物論・死後の存在の否定
パクダ七つの不変の要素を説く立場
サンジャヤ判断を留保する懐疑論

五人の思想はそれぞれ異なりますが、仏教では、善悪の行いとその報いに因果関係があると教えられています。

私たちは、何が正しいのか迷うことがあります。しかし、何も判断せずに生きていくことはできません。

仏教の因果の道理は、善悪の行いにはそれぞれ報いがあると教えています。だからこそ、何を行い、何を慎むべきかを考えることが大切なのです。