善い人が幸せになり、悪い人が報いを受ける。
私たちは、どこかでそう願っています。しかし七、八十年の人生だけを見れば、その願いは何度も裏切られます。
現世だけでは、善が報われない
短い一生の間に、善人が努力に比例して幸福になり、悪人が逃げずに処罰されることは、現実には不可能です。
善い行いをした人が、現世で幸福にならないことがあります。反対に、悪いことをした人が、罰を受けないまま安楽に暮らすこともある。
この矛盾を現世だけで解決しようとすると、「善因善果・悪因悪果の法則など存在しない」と考えるしかなくなります。
カントの道徳的な問い
ドイツの哲学者カントは、善に励んだ人が、それに見合った幸福になることは、七、八十年の人生では期待できない、と考えました。
しかし、善と幸福が本当に無関係なら、真面目に生きる理由はどこにあるのでしょう。
まじめに勉強し、仕事をし、他人に親切にすることが、ただ損をするだけなら、人間は善を選び続けられません。

善と幸福は、いつ一致するのか
そこでカントは、善と幸福が一致する世界、つまり来世がなければならない、と主張しました。肉体が死んだ後も魂が残り、善い行いに見合う幸福を受ける。
現世で一致しなくても、永い時間のなかで一致する。
これは、「善人なら現世で必ず成功する」という浅い慰めではありません。
むしろ、現世で報われなくても、善を投げ出してはならないという、厳しい道徳です。
「善」と「幸福」は、この世では一致しないことがあっても、善い行いは永い時間の中で実を結ぶはずです。
恨みを手放すもう一つの道
スピノザは、「感情は、それと反対の、しかもその感情よりもっと強力な感情によらなければ抑えることも除去することもできない」と言いました。
悪いのは他人だと思っている間は、怒りと憎しみしか起きません。
「自分が悪かった」と自分の行為を見つめ直すことができれば、恨みや呪いの暗黒は消え、感謝と喜びで光に向かって進めます。
自業自得の道理は、傷つけるための教えではありません。スピノザの言うとおりなら、救済の唯一の道です。
この世のことだけを見れば、善人でも幸福になっていない人は数知れません。だからこそ、来世がなければならない。
カントの主張は、現世の不条理に泣く人へ、善を捨てないための論理を与えようとしたものです。

来世を考えることは、現世を諦めることではありません。今は報われなくても、善い行いを無駄にしないための、長い視野を持つことです。
