実行しなければ、心で何を思ってもかまわない。
法律の世界では、だいたいそのとおりです。ブッダの見方は、逆を向いています。
思っただけなら、罪ではないのか
因果の道理の結論は、体でも口でも心でも、悪を慎み善に向かいなさい、という廃悪修善です。
『ウダーナヴァルガ』は、身体と言葉と心の悪い行ないを捨て、それぞれで善いことをせよ。その人はこの世でもかの世でも幸せを得る、と説きます。
一般には、悪い考えを起こしても実行しなければ罪はない、と思われています。法律も、体の行為を主に取り締まります。
言っただけで罰せられるのは、詐欺や恐喝など一部です。
しかしブッダは、「死んでしまえ」と言うのはもちろん、「あの人さえいなければ」と思うだけでも、心で殺しているのであり、殺生の罪だと説いています。
「私は人を殺していない」と言えるのは、心でも殺していない人だけだ、と。
ウパーリとの問答
ブッダ在世中、ジャイナ教を信じていたウパーリという長者がいました。ジャイナ教では体の罪こそ最も重い、と教えていました。
それと正反対を説くブッダの噂を聞き、「世迷い言を言う者は言い負かせてやる」と論争を挑みます。
ブッダは静かに尋ねました。水中や空気中の微生物を気づかずに殺したら、ジャイナ教ではどんな罪になるのか。
「殺そうという意志はないから、罪にはならない」。「では意志があったら」。「重罪だ」。
「ウパーリよ、注意して返事をしなさい。今の言葉は、先と矛盾しています」。
体を最も重視する教えが、一方で心を重んじている矛盾が浮かびました。論に感服したウパーリは、弟子入りを願い出た、と『ウパーリ経』は記しています。

命じる心のほうが、重い
口や体より心を重視するのは、口や体が心の指示で動くからです。体で悪いことをしたなら、そうさせたのは心です。
1995年の地下鉄サリン事件では、毒ガスによって十三人が亡くなり、六千人を超える負傷者が出ました。
実際に作った人、まいた人より、教団を動かした心の責任が重い、と多くの人が感じたはずです。
法律でも、内乱の首謀者と現場の参加者では、刑の重さが違います。
心が悪を思えば、口も体も悪に向かい、その報いで苦しみます。心が善に向かえば、口も体も善に向かい、結果は幸福です。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。汚れた心で話したり行なったりするならば、苦しみはその人につき従う。
清らかな心ならば、福楽がその人につき従う。
『ダンマパダ』の言葉です。憎む人が憎む人に何をしようとも、邪なことをめざす心はそれよりひどいことをする。
母や父や親族がしてくれることよりも、正しく向けられた心がしてくれることのほうが優れている。
明日は、さらにすぐれている
最大の敵は心であり、最強の味方も心です。運命は、心の向き一つで決まります。
ただし心は、放っておけば悪に走りやすい。善からぬことはしやすく、善いことは極めてなし難い。善をなすのを急げ。
のろのろしていると、心は悪事を楽しむ。

心に気をつけている人は、常に幸せである。気をつけている人にとっては、明日はさらにすぐれている。
今日の心を、少しだけ善の側に向けてみてください。大きな決断の前に、小さな向きを変える。それが、運命を動かす最初の一手です。
