台密のお話 [五] 秘密の意義

天台宗の教え

秘密の意義

「真言教(密教)」を「秘密教」と名付ける意味について、五大院安然(ごだいいんあんねん)は『教時問答(きょうじもんどう)』の中で、『大日経義釈』の四つの説を引いて解釈しています。ここでは、その内容を現代の言葉(意訳)で解説します。

すなわち、仏様の方から秘密になさっているという意味で「秘密」と名付けられます。密教は、ただちに悟りを開く素質(頓悟の機)がなければ入り難い法門であるため、仏様がその人にその素質があると認めなければ説かれない、ということです。
これは、「仏様が法を惜しんでいる(もったいぶっている)」と誤解されるかもしれませんが、そうではありません。「小さな子供に鋭い刃物を与えるのが危険であるから与えない」のと同じように、やはり仏様の大きな慈悲心から秘密にされているのです。

前にも記したように、世の中のすべての音声がみな大日如来の真言であるにもかかわらず、私たち衆生の心が開けていない間は、物事を隔てて見てしまいます。つまり、自分への執着(我執)があるために、如来が常に説いておられる御説法を聞くことができない状態を指します。

これは、諸仏の言葉には深い意味が含蔵されており、もし文字の表面だけで理解しようとすると真意を見失う場合があるということです。
一つの例を挙げると、『無行経(むぎょうきょう)』というお経に「貪欲(むさぼり)すなわち道なり、瞋恚(怒り)愚痴(愚かさ)もまた然り」と説かれているのを見て、「三毒(むさぼり・怒り・愚痴)を修行の道として説かれたのだ」と考えてしまえば、邪道に陥ってしまいます。これでは仏の戒律は何の必要もなくなります。
しかしながら、「三毒は道ではなく、三徳(戒・定・慧)のみが道である」と思うのもまた我執であり、真俗二諦(真理と現象)を隔てる考え方であるため、仏はこれを打ち破るためにそう説かれたのです。三毒も道には違いありませんが、「道」と言ってもそこに深い意味があることを考えなければなりません。古い歌に「逢ふたふ鼠の道も道なれど 誠の道ぞ人の道なれ(ネズミの道も道には違いないが、真の道は人の道である)」とあるのと同じようなことです。

諸仏の悟りは清浄無垢の境地であって、私たちのような煩悩や苦しみに満ちた(有漏雑染・煩悩業苦)心境とは別次元のものです。したがって、その仏の絶対清浄の力が、煩悩と苦しみの中にある衆生を救い取ろうとする大誓願、すなわち清浄の働き(業力)を起こして衆生を加護し、導き、そこに仏と衆生の心が通い合う(感応道交)のです。
この加持(仏の守護)の力によらなければ、高い位にいる(十地の)菩薩であっても諸仏が自ら悟った境地を理解することは難しいとされます。ましてや、生死の世界をさまよっている私たち衆生においてはなおさらです。このため「秘密」と呼ぶのです。

以上が、真言教を「秘密教」と称する四つの意味です。
さらに安然は、『菩提心義』の中で、「六義(六つの意味)」をもって秘密の意義を明らかにしていますが、それは前の四義の最初と最後に一つずつ意味を加えただけで、本質的な内容に変わりはありません。試しにその六義の大要を記しておきましょう。

1. 第一に、法体微密(ほったいみみつ)の故に秘密と名づく
諸仏の身・口・意の三密と、私たち衆生の三密とは、本(根源)と末(現象)が一体であって非常に微妙で細密(微密)であるという意味です。行者は仏の全体の中の一部であるから、行者の三密はそのまま仏の一部となります。したがって、不思議なほど細密に一体であることを「法体微密」とし、この意味を明らかにするために「秘密」とします。
2. 第二に、諸仏内証(しょぶつないしょう)の故に秘密と名づく
これは前の第四義「法体秘密」と全く同じ内容です。
3. 第三に、機に非ざれば授けざるが故に秘密と名づく
これは前の第一義「諸仏所秘」に当たります。
4. 第四に、衆生不覚(しゅじょうふかく)の故に秘密と名づく
これは前の第二義「衆生所秘」に当たります。
5. 第五に、未だ三昧耶(さまや)に入らざるものには説き聞持せしむることを許さず、故に秘密と名づく
密教には、如来の誓願に基づく伝法の順序や決まり(制規)があり、それに従って修行することを「三昧耶に入る」と言い、そうでない人を「三昧耶に入らない人」とします。これらの人々には密教を説いたり、教えを保たせたりすることは許されません。ゆえに「秘密」と名付けられます。
6. 第六に、隠密の故に秘密と名づく
これは前の第三義「言説隠密」に当たりますが、安然和尚はこれをさらに解釈して、「他人に見せず、また真言を唱えるにしても密かに唱えて他人に聞かせないこと」と説明しています。今日でも東密(真言宗)では台密よりも印や真言を秘密にしており、印を結ぶ場合にも衣の袖の下で結びます。これは、密教が師から弟子への相承(伝授)を尊ぶところから、相承を受けていない人には露わに示さないという意味であり、この点からも「秘密」とします。

以上が六種の秘密であり、四義と六義の違いはありますが、共に『大日経義釈』に基づいたもので、いずれも正しい教義(正義)です。