心のはたらきを四つに分ける:相分・見分・自証分・証自証分

唯識

心のはたらきを四つに分ける:相分・見分・自証分・証自証分

十八界では、根・境・識を開いて、見ることや聞くことが成り立つ筋道を見ました。ここでは、その識のはたらきそのものを、さらに四つに分けます。相分(そうぶん)、見分(けんぶん)、自証分(じしょうぶん)、証自証分(しょうじしょうぶん)です。

四分とは

諸々の識の作用は、次の四つです。

この四つは、みな識の作用です。そのなかでも主となる作用は、自証分です。ですから自証分のことを、自体分(じたいぶん)ともいいます。

【具体例】
本堂の花を見るとき、赤い花びらの相が心に現れます。それが相分です。その赤さを見ているはたらきが見分です。「いま花を見ている」と知っているはたらきが自証分です。その「見ていると知っている」ことまでを知るはたらきが、証自証分です。四つは別々の心が並んでいるのではなく、一つの識のはたらきを、役割で分けたものです。

相分:認識の対象となる側

相とは、相状(そうじょう)のことです。色や心の諸法には、それぞれ相状の差別があります。そしてそれらは、心と心所の所縁、つまり認識の客観となります。この、心の所縁となる用を、相分と名づけます。

客観といっても、心の外に、心とは別に実在する物を立てる意味ではありません。心が縁じるとき、対象として現れている側の用です。

【具体例】
同じ花でも、朝の光では赤が鮮やかに、夕暮れでは暗く沈んで見えます。見えている赤さや輪郭は、そのつど心に現れた相です。相分とは、この「見えている相」の側を指します。花びらの枚数を数える前に、すでに一つの相として心に対しています。

見分:対象を見照らす側

見とは、見照(けんしょう)のことです。心は、自分の性質として、前の境をよく見照らします。この、心の能縁の用、つまり認識作用を、見分と名づけます。

相分が「見えているもの」の側なら、見分は「見ている」側です。対象が現れるだけでは、まだ見ていることにはなりません。見照らす用があって、認識になります。

【具体例】
花が視界に入っていても、別のことを考えているあいだは、赤さを見照らしていません。ふと目が止まって、花の赤さを受け取る。その受け取るはたらきが見分です。相分の赤さと、見分の「見ている」とは、いつも対になっています。

自証分:見分を知る、心の主体

自とは、見分を指します。見分が外に向かって縁じる作用、その外縁(げえん)の作用を認識する作用を、自証分といいます。

四分のなかで主となるのは、この自証分です。見分が対象を見ているとき、その「見ている」こと自体を、識が知っています。この主体となる用を、自体分とも呼びます。

【具体例】
花を見ている最中に、「自分はいま花を見ている」と、見ている事実そのものが分かっています。誰かに説明するためではなく、見分が外の花を縁じている、その作用を、識が内側から知っている。この知り方が自証分です。見分が窓の外を向き、自証分がその窓の働きを確かめている、と見ると役割が分かれます。

証自証分:自証分をさらに知る

自証とは、いま見た自証分を指します。自証分を、さらに認識する作用を、証自証分と名づけます。

見分を知るはたらきで終わりではありません。その自証分を知る用が、もう一つあります。ここまでで四つです。それ以上に段を増やすのではありません。

【具体例】
「花を見ている」と知っている、その知り方までが、識のうちに知られています。見分(花を見ている)を、自証分が知り、その自証分を、証自証分が知ります。段を増やす話ではなく、識の作用はこの四つです。

八識はみな四分を備える

八つの識は、みなこの四分を備えます。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識だけでなく、末那識も阿頼耶識も、相分・見分・自証分・証自証分を欠きません。

前の五識は、色や声のような粗い対象を縁じます。第七識は第八識の見分を縁じます。対象は違っても、はたらきを四つに分ける点は同じです。

【具体例】
鐘の音がするとき、耳識には、音の相(相分)と、聞いている作用(見分)と、聞いていることを知る作用(自証分)と、それをさらに知る作用(証自証分)があります。花を見る眼識も、同じ四つです。深いところで続きを保つ第八識も、自分のはたらきを四つに分けて備えています。識が八つだから四分が八組ある、のではなく、どの識もそれぞれに四分を持つ、ということです。

八つの識の全体は、私たちの心とは何か?「心王」(八識)で見ています。

心所は、実の心所だけが四分を備える

心所は、必ずしも四分を備えません。実の心所はみな四分を備えますが、仮の心所は備えません。

四分を備えるのは、次の心所です。

備えないのは、小随煩悩の残りの七つです。覆(ふく)、諂(てん)、誑(おう)、憍(きょう)、害(がい)、嫉(しつ)、慳(けん)です。

【具体例】
花を見て「きれいだ」と感じる受は、遍行の実の心所です。感じている対象の相、感じる作用、その感じを知っているはたらき、さらにそれを知るはたらきを備えます。いっぽう、自分の失敗を隠そうとする覆は、仮の心所として、この四つを備えません。忿・恨・悩は備え、隠す覆、へつらう諂、だます誑、自惚れる憍、害する害、ねたむ嫉、出し惜しむ慳の七つは備えない、という分けです。

心所の全体は遍行心所から順に説いています。七つの仮の心所がどの随煩悩にあたるかは、心に潜む「随煩悩」とはとあわせて見てください。

四分は、識が対象を持つときの内側の分け方です。その認識が正しいのか、誤っているのかは、次の現量・比量・非量で見ます。