今回は、四宗相承を果たした、伝教大師最澄が、中国天台宗とは異なる宗派を確立したことについて解説します。
伝教大師最澄が築いた独自の仏教体系
宗祖・伝教大師最澄が、叡山(比叡山)を根本道場にして弘めた教えは、最澄独自の仏教体系でした。
伝教大師の偉業の1つに「四宗統一」(四宗融合)があります。
伝教大師は中国から四つの宗派を学び受け継ぎましたが、それらを単に個々に日本に移植したのではありません。
むしろ、四宗を統一し融合させ、日本の風土や文化に適応した独自の仏教として発展させたのです。
このことは、「日本天台宗」が「中国天台宗」と区別される重要な理由となっています。
どのような仏教体系でしょうか。
「遮那業」と「止観業」の両業はすなわち五業である
最澄は当初、学生の修行の指針である山家学生式の中で、「遮那業」と「止観業」という2つの体系を設けました。
「止観業」は天台大師の教観(円)に基づく学問と修行を指します。
「遮那業」は真言密教全般の学問と修行を表すものでした。
その後、この体系は時代とともに発展を遂げます。
嘉祥3年(850年)には慈覚大師の提言により、遮那業が「金剛頂業」と「蘇悉地業」に分かれました。
さらに仁和三年(887年)には智証大師の提言によって「大日業」と「一字業」が加わりました。
これによって、最終的に五業として整理されました。
しかし、これは本質的には最初の両業を細分化したものであり、根本的には両業の枠組みの中に収まるものです。
戒律の位置づけ
「遮那業」と「止観業」の両業は、四宗の中では「円教(止観)」と「密教(遮那)」という二つの大きな流れに対応しています。
ここで重要なのは戒律の位置づけです。
戒律は修行の基本中の基本であり、僧侶としての存在意義そのものと言えます。
戒律なくしては、遮那も止観も意味をなさないのです。
そのため、円頓大戒は両業の基礎として、すべてを包含する役割を果たしています。
山家学則によれば、比叡山の伝統は中国天台山とは異なり、まず梵網律宗を基本とし、その上に仏乗の三宗(円・密・禅)を学ぶ体系を確立しています。
禅は両業に含めず
禅については、天台大師の止観の妙行と一致する面がありますが、「教外別伝」を標榜する独自の性格を持つため、あえて両業の中に含める必要はないとされています。
しかし両業の外にあるわけでもありません。
これらをまとめると顕教と密教の二つとなります。
顕教と密教に納まる四宗統一
一見四つの異なる宗派の教えに見えるものも、究極的には顕教と密教の二つに収斂され、顕密一致すなわち四宗統一とみなせるのです。
これこそが、日本天台宗が築き上げた独自の思想体系の特徴なのです。