天台宗の教え– category –
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天台宗の教え
天台宗の法華経の観法と修行 – 恵澄和尚の「止観大意綱要」より
法華経の観行(かんぎょう)とは、天台宗の五時八教という教えの体系に基づいて、法華経の真の価値を理解し、その教えを実践し、悟りを得るための修行方法のことです。 「観行」という言葉は、単なる瞑想や思索ではなく、仏教の教えを実践的に体得していく... -
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法華経の教えと凄さをわかりやすく解説- 仏教における本当の救いとは
多くの人が仏教に触れると、その奥深さに圧倒されます。 これはお釈迦さま在世の時代から変わらない課題でありました。 今回は、法華経の教えについて、その成立背景から凄さまで、深く掘り下げてみたいと思います。 ポイント 釈迦の教えは、聞き手の理解... -
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伝教大師最澄による法華経を中心とした仏教統合への道のり
比叡山を開いた伝教大師最澄は、法華経の教えを中心に、日本仏教の新たな展開を目指しました。その壮大な構想と実践の道のりを見ていきましょう。 法華経への深い感銘 最澄の法華経との出会いは、比叡山に入山した直後にさかのぼります。 天台大師の教えを... -
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眞流律師の『教苑摘要』による「三宗一致」(四宗一致)の解説
三宗一致(四宗一致)について眞流律師の『教苑摘要』を参考に紹介します。 原文と意訳を掲載し、眞流律師について簡単に説明をします。 眞流律師 眞流律師。正徳元年(1711年)、勢州津の生まれ。横川禅定院の智濤のもとで出家。享保15年(1730年)、智濤... -
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伝教大師最澄の提唱した「四宗一致」と「四宗兼学」の深い教え
仏教には様々な宗派や教えがありますが、伝教大師は「四宗一致」としてそれぞれの教えを融和して教えられました。 今回は、「四宗一致」と、そこからの「四宗兼学」の深い教えを解説します。 四宗一致とは何か? 四宗一致とは、以下4つを根本的に一つに融... -
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伝教大師最澄が果たした偉業「四宗統一」(四宗融合)とはどんなことか。
今回は、四宗相承を果たした、伝教大師最澄が、中国天台宗とは異なる宗派を確立したことについて解説します。 伝教大師最澄が築いた独自の仏教体系 宗祖・伝教大師最澄が、叡山(比叡山)を根本道場にして弘めた教えは、最澄独自の仏教体系でした。 伝教大... -
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伝教大師最澄の円・密・禅・戒の四宗相承と天台宗(新法相宗)成立
伝教大師最澄による円・戒・密・禅の四宗相承について説明します。 四宗相承は、四宗を受け継いだという意味です。 その四宗は、円(えん)・密(みつ)・禅(ぜん)・戒(かい)の4つです。 それぞれ簡潔に説明します。 四宗の本質と意義 これらの教えを、次の5人... -
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伝教大師の入唐求法 ~命がけの仏教伝来の旅~
伝教大師最澄の、入唐求法の旅について、説明します。 遣唐使船団への参加 804年(延暦21年)9月、伝教大師は朝廷から重要な許可を得ました。 中国への留学(入唐求法)の許可です。 ただし、この許可には「1年以内に帰国すること」という条件が付されてい... -
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平安遷都における桓武天皇と伝教大師の関わり
今回は、桓武天皇が平安遷都をされるにあたって、伝教大師が重要な関わりをされていたことについて解説します。 奈良時代末期の混迷 奈良時代の末期、都は深刻な危機に直面していました。 表面的には絢爛豪華な都の姿を見せていましたが、その実態は政治と... -
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伝教大師最澄 天台宗開宗への道
伝教大師最澄が、天台宗を開かれるまでの経緯を、解説します。 混迷する仏教界の実態 伝教大師最澄が生まれた8世紀末の仏教界は、深刻な危機に直面していました。 寺院は豪華な外観を誇っていたものの、その内実は完全に腐敗し、一般の人々の生活からは大...
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