私たちが生まれたときから、「時間」という資産が与えられます。
平均寿命80年で計算すると、一人あたり約70万時間を持っていることになります。
アメリカの政治家ベンジャミン・フランクリンは「タイムイズマネー(時は金なり)」といい、時間の重要性を端的に示しました。
しかし、実際には時間の価値は金銭以上のものです。
時間の価値をあらためて考えてみましょう。
時間は増やせない
お金を稼いで貯めることはできます。株式投資や不動産投資などを一生懸命やれ、ば私たちは資産を増やし続けることが可能です。
しかしどんなに裕福な人でも、一日の時間は24時間。
時間のの有限性が、時間が他の資源と異なる特徴です。
未来の技術でさえも、人類が何千年もの歴史を経ても、時間を本質的に増やすことは不可能なのです。
さらに私たちは時間を常に消費しています。
時間は減少し続ける
お金は使わなければ貯目られますが、時間は何もしなくても過ぎ去っていきます。
たとえば、この記事を読んでいる数分間でさえ、私たちの人生の砂時計からは確実に砂が落ちています
時間が持つこの一方向的な性質を、私たちは忘れてしまうから気づいたら無駄にしてしまうのです。
時間が生み出す価値
当然のことですが、時間を使うことで私たちはあらゆる価値を生み出しています。
発見と想像
アインシュタインが相対性理論を発見し、ゴッホが『星月夜』を描き、ベートーベンが『交響曲第九番』を作曲したのは、いずれも膨大な時間を費やした結果です。
これらの偉業は、お金ではなく時間の投資によって成し遂げられました。
どれだけの財産があろうとも、時間なしでは創造や発見はできません。
成長と学びの基盤
私たちが新たな技能を身につけたり、学びを深めたり、人間関係を築いたりするのも、時間をかけてこそ。
たとえば、新しい言語を学ぶことも、一夜にして成し遂げられるものではありません。
適切な時間の使い方によって、知識や人間性は育まれていくのです。
なぜ時間の価値が見過ごされるのか
時間を「つぶす」という表現が存在するほど、私たちはしばしば時間の重要性を軽視しています。
英語では、暇つぶしを「Kill time」と言い、時間を殺すと表現しますが、時間を命と考えれば表現が適切なようにも思います。
時間の価値を見過ごす理由は、お金とは違い時間は目に見えない資源であり、具体的に実感しにくいという特徴があります。
また「忙しくあること」が人生を豊かにする条件のように勘違いしてしまい、立ち止まって時間の使い方を見直すという余裕が持てないのかもしれません。
さらに、スマートフォンやSNSの普及により、気づかないうちに大企業から「時間を搾取されている」ひとも多いでしょう。些細な時間の浪費が積み重なり、結果として大きな機会損失につながっています。
しかし時間は誰にでも平等に与えられた、二度と取り戻せない貴重な資源です。
一度失った時間は、お金では買い戻せません。時間の価値を再認識し、何のために時間を使うべきなのか、あらためて考える必要があります。
深刻な現実
さらに、日本では年間2万人以上が自ら命を絶っています。
多くの人が全財産を失うことを恐れる一方で、残された時間すべてを放棄してしまう人たちがいるのです。
時間の価値への理解が、命の意味への理解に繋がります。
お釈迦様の時間観
お釈迦様は、私たちに本当の命の価値を教えられました。
畜生に生まれたり、修羅界に生まれたり、地獄に堕ちずに、人間に生まれたからこそできることがあると、教えられています。
釈迦院へ参拝される際には、あらためて人間に生まれた意味を考えていただきたいと思います。