今回は108の煩悩について解説します。
煩悩とは私達を煩い、悩ませるもので、一人ひとりが108種類持っています。
108の煩悩すべてを覚えてほしいというわけではなく、仏教の奥深さを感じ取っていただきたく、紹介しています。
経典に書かれる煩悩
雑阿含経では、以下のように教えられています。
「一切は苦である」「一切は虚業の法である」「一切は煩悩法である」「一切は集法である」
どれも煩悩について、教えられていることです。
煩悩と私達の行為の関係について、『阿毘達磨大毘婆沙論』で喩えで教えられています。
十二縁起(人生の苦しみの原因と結果の連鎖)を一本の木として考えると、種が芽を出し、茎となり、枝や葉、花、果実へと成長していくように、煩悩(惑)と行為(業)と苦しみ(苦)は相互に関連し合っているというのです。
こう考えると、煩悩と、行為は同じもののように考えがちですが、説一切有部(小乗仏教学派の一つ)では、煩悩と行為は、完全に同一視できないと教えます。
煩悩と行為の関係
阿毘達磨大毘婆沙論第47巻では、以下の五つの理由を挙げて、煩悩(漏)と行為(業)を同一のものとみなすことはできないと説明しています。
Q.なぜ煩悩のみが漏と呼ばれ、業は漏と呼ばれないのでしょうか。
- 対機説法だから
「有余の説」(完全な説明ではなく、一部が省略された説明)として理解すべきで、一度にすべてを説明しても理解できないため、説明されていない。 - 業の不定性のため
業には、生きものを生死(輪廻)に長く留めおく業(悪業)と、生死(輪廻)を克服するための対治となる業(善業)の2つの性質が考えられます。このように業は性質が一定ではないため、漏とは呼ばれないのです。
一方、煩悩は常に生死(輪廻)を続けさせる方向に働きます。 - 業が煩悩を根本とするため
業は必ず煩悩を根本として起こります。煩悩を断ち切ることなく業だけを捨てることは決してありません。このため、根本である煩悩のみが漏と呼ばれるのです。 - 業と煩悩によって引き起こされるため
業は煩悩の力によって引き起こされます。煩悩が尽きても寿命が続く場合、それは煩悩の残り香(余勢)によるものと考えられます。これは、湿った泥の塊を壁に投げつけた場合、乾いても落ちないことがあるのと同じです。これは湿っていた時の力の余波として理解できます。 - 涅槃は煩悩は尽きるが業は尽きないため
涅槃(解脱)は煩悩が尽きることによって得られ、業が尽きることによって得られるわけではありません。
これらは別個のものでありながら、密接に関連している(不離)なのです。
煩悩については、阿含経典の中でも様々な角度から教えられています。
阿含経典の分類
阿含経典には、すでに煩悩の詳細な分類がなされています。
- 三愛(三種の執着)
- 三結使(三種の束縛)
- 四著(四種の執着)
- 五纏(五種の煩わしさ)
- 七種の束縛
- 八種の瘡
- 九種の縛り
- 十六や二十一の穢れ
などがあります。
これらの分類をさらにわかりやすく、あきらかにされたのが、千部の論主と呼ばれる天親菩薩です。
倶舎論には次のように煩悩を分類されています。
倶舎論の心所について
倶舎論は、それ以前の仏教文献(雑阿毘曇心論と阿毘達磨大毘婆沙論)を参考に、心の働きを「五位七十五法」という体系に整理しました(唯識では五位百法)。
心所のうち、汚れた心に大きく4つに分類されています。
心の汚れ(染汚):四つの分類
4つの分類とは以下のとおりです。
- 六大煩悩地法:基本的な大きな煩悩
- 二大不善地法:主要な悪い心の働き
- 十小煩悩地法:より小さな煩悩
- 八不定地法:状況によって変化する煩悩
それぞれ解説します。
1.六大煩悩地法(ろくだいぼんのうちほう)
これは最も基本的で、深刻な煩悩を指します。
「地法」という言葉は、これらの煩悩が心の「土台」や「基盤」となっていることを示しています。具体的には以下のようなものが含まれます:
- 無明:真理を理解できない迷いの状態
- 放逸:自制心が効かず、心が散漫になる状態
- 懈怠:修行や善行に対する怠惰な心
- 不信:仏法や真理に対する信頼の欠如
- 惛沈:心が沈み込んで活力を失った状態
- 掉挙:心が落ち着かず、浮ついた状態
これらは特に重要な煩悩とされ、他の煩悩の源となると考えられています。
2.二大不善地法(にだいふぜんちほう)
これは特に「悪い」とされる二つの主要な心の働きを指します:
- 無慚:自分の悪行を恥じない心
- 無愧:他者の前で悪事を恥じない心
これらは、道徳的な判断力や自制心の欠如に関わります。
現代の考え方にあてはめれば、倫理観や社会性の基盤となる部分に関わる心といえそうです。
十小煩悩地法(じゅうしょうぼんのうちほう)
より小さな、あるいは特定の状況で現れる煩悩を指します。
例えば次の十種です。
- 忿:一時的な怒り
- 覆:過ちを隠す心
- 慳:物惜しみ
- 嫉:妬み心
- 悩:心の苦しみ
- 害:他者を傷つけたい心
- 恨:根に持つ心
- 諂:へつらう心
- 誑:騙す心
- 憍:高ぶる心
これらは六大煩悩地法ほど根本的ではありませんが、日常生活において頻繁に現れる煩悩とされています。
4.八不定地法(はちふじょうちほう)
これらは状況や条件によって善にも悪にもなりうる心の働きを指します。
- 尋: 対象を探り求める心の働き。物事を大まかに把握する最初の段階。
- 伺: 対象をさらに詳しく調べる心の働き。尋の後に続く細かい観察。
- 悔: 過去の行為を後悔する心。
- 眠: 眠気や精神的な沈滞状態。
- 貪: むさぼり求める執着心。
- 瞋: 怒りや憎しみの心。
- 慢: 自己を過大評価し、高ぶる心。
- 疑: 真理に対する迷いや疑問を持つ心。
煩悩を分類していると、重なりがあるときがありますが、それにも意味があります。
煩悩の二つの側面
同じ煩悩でも、見方によって異なる分類が可能です。
例えば、貪り・怒り・慢心・疑いといった煩悩は、次の二つの観点から、次に説明する六大煩悩(六随眠)中にも含まれます。
次のような見方で分類しています。
- 心理学的側面(不定地法)
これは煩悩を心の状態や機能として見る見方です。客観的な意味合いが強いです。 - 宗教的側面(六大煩悩) この観点では、煩悩を人間存在の根本的な問題として捉えます。つまり、私たちの苦しめてる要因として理解します。
私たちにとって、どういう分類がなされるかよりも、どの煩悩がどのような苦しみを与えているかを知るほうが大切です。
そのような意味では、六大煩悩のほうをよく知るべきでしょう。
そこでまず六大煩悩について説明します。
108の煩悩の分類について
一般的に108の煩悩と言われる分類は、倶舎論の分類によります。
そこで倶舎論の分類について、解説していきます。
私達を苦しめる六大煩悩(六随眠)
六随眠は、人間の根本的な煩悩であり、六大煩悩とも言います。
これは以下の要素から構成されています。
最初の、三不善根という煩悩は、次の3つです。
1.貪(むさぼり):執着する心
2.瞋(怒り):怒りの感情
3.癡(迷い):真理を見失う心
上記3つを、三毒の煩悩ともいいます。
さらに次の3つの煩悩を加えて六大煩悩
4.慢(おごり):自己を過大評価する心
5.悪見(誤った見方):物事を誤って理解する心
6.疑(迷いの心):真理への確信が持てない状態
雑阿含経では、すでに「我(が)」(自己への執着)と「我所(がしょ)」(自分のものへの執着)を教えられており、「慢」(おごり)や「見」(誤った見解)という煩悩の理解につながっています。
現代的な意味
六大煩悩は、現代の心理学的にあえて、あてはめてみれば、次のような問題を引き起こしています。
- 「貪」は現代でいう執着や依存の問題
- 「嗔」は怒りのマネジメントの課題
- 「癡」は認知の歪みの問題
- 「慢」は自己評価の問題
- 「悪見」は固定観念や偏見の問題
- 「疑」は不確実性への不安
このように、煩悩は、現実的に人生を大きく影響を与えている心なのです。
さらに悪見を5つにわけて、十随眠として教えられます。
十随眠
「十随眠」は、2つのグループに分けられます
1. 五鈍使:ゆっくりと働くが取り除きにくい煩悩
2. 五利使:素早く働くが比較的取り除きやすい煩悩
それぞれ次に解説します。
五鈍使(ごどんし)について
五鈍使とは、ゆっくりと働くが取り除くことが難しい五つの煩悩を指します。
- 貪欲: 物事への執着や欲望です。例えば、必要以上にものを欲しがったり、執着したりする心の傾向です。これは日常生活の中で徐々に強まっていく性質を持ちます。
- 瞋恚: 怒りや憎しみの感情です。これは一度心に根付くと、なかなか取り除くことが困難になります。怒りの感情は、時間をかけて心の奥深くに定着していく傾向があります。
- 愚痴: 物事の真実を見抜けない迷いの心です。これは長年の習慣や経験によって形成される誤った理解や思い込みに関係します。
- 慢: 自己を過大評価する心です。これも時間をかけて形成される性質があり、一度定着すると変更が困難です。
- 疑心: 真理や教えを疑う心です。これも時間とともに深く根付いていく性質があります。
無明と疑の深い関係
特に注目すべきは、無明(無知)と疑(迷い)の関係です。無明は三世(過去・現在・未来)にわたる根本的な無知を指し、その現れとして具体的な疑いが生じてきます。
例えば:
- 四諦(苦・集・滅・道)についての疑い
- 三宝(仏・法・僧)についての疑い
- 因果の法則についての疑い
- 本願(仏の約束)に対する疑い
これら真理に対する疑いがなくなったとき、老病死を超えた本当の幸福とはなにかがあきらかになります。
五利使(ごりし)について
六大煩悩の「悪見」をさらに5つにわけ五利使として教えられます。
五利使は、素早く働くが比較的取り除きやすい五つの煩悩です:
- 身見: 「私」や「私のもの」という執着です。これは理論的な理解によって比較的早く克服できる可能性があります。
- 辺見: 極端な見方や考え方です。正しい理解が得られれば、比較的早く修正が可能です。
- 邪見: 誤った物の見方です。適切な教えとの出会いによって、比較的早く改善できる可能性があります。
- 見取見: 誤った見解への執着です。正しい理解が得られれば変化が可能です。
- 戒禁取見(かいごんじゅけん): 誤った修行方法への執着です。正しい指導があれば改善が可能です。
以上の十随眠は、九十八の随眠に分類されます。
九十八随眠
九十八随眠は、「三界」と「四諦」と「煩悩を断ち切る方法」による観点から、分類します。
1.三界による分類
仏教では、私たちの住む世界を三つに分けて考えます
- 欲界:欲望の世界(私たちが普段住んでいる世界)
- 色界:物質は存在するが欲望が少ない世界(瞑想の世界)
- 無色界:物質すら存在しない精神的な世界(より深い瞑想の世界)
それぞれの三界の中で、さらに四諦によって分類されます。
2.四諦による分類
四諦(したい)は、仏教の最も基本的な教えの一つで、釈尊が悟りを開いた後に最初に説いた真理です。
「諦」は「真理」という意味で、人生の本質的な実相を示しています。
- 苦諦(くたい): 人生には苦しみが存在するという真理です。
- 集諦(じったい): 苦しみには原因があるという真理です。
- 滅諦(めったい): 苦しみは消滅させることができるという真理です。
- 道諦(どうたい): 苦しみから解放される具体的な方法を示す真理です。
三界と四諦に加え、さらに次の分類がなされます。
3.煩悩を断ち切る方法による分類
それぞれの煩悩には、克服するための特定の方法や段階があると考えられています。
仏教では、煩悩を断ち切る方法を主に「見道」と「修道」という二つの段階があります。
見道(けんどう)による煩悩の断滅
見道は、真理を直接的にことによって断ち切られる煩悩に関する方法です。
このような見道で断たれる煩悩を「見惑」(けんわく)と呼び、全部で88種類あるとされています。
修道(しゅどう)による煩悩の断滅
修道は、継続的な修行や実践によって徐々に断ち切られる煩悩に関する方法です。
これは主に感情的な反応や深く染み付いた習慣的な煩悩を対象としています。
例えば、「貪欲」(むさぼりの心)は、単に理解するだけでは克服が難しく、継続的な実践や訓練が必要とされます。瞑想や日々の心の観察を通じて、少しずつ克服していく必要があるのです。
このような修道で断たれる煩悩を「修惑」(しゅわく)と呼び、10種類あるとされています。
ここまでで、見惑88種類と、修惑10種類を足して、98種類の煩悩がありますが、さらに十纏を加えて、108種類となります。
十纏とは
十纏(じってん)は、より表層的な煩悩を指します。「纏」は「まとわりつく」という意味で、日常生活において直接的に現れる煩悩です。
具体的には、次の10種類があります。
- 忿(ふん):一時的な怒りの感情、目前の対象への激しい怒り
- 覆(ふく):自分の過ちを隠そうとする心、罪や失敗を認めない心
- 慳(けん):物惜しみする心、所有物を共有したがらない心
- 嫉(しつ):他人の幸せを妬む心、他者の成功を喜べない心
- 悩(のう):心を乱す苦しみ、精神的な苦痛や悩み
- 害(がい):他者を傷つけようとする心、害意のある心
- 恨(こん):怒りが長期化した怨みの感情、根に持つ心
- 諂(てん):へつらう心、相手に取り入ろうとする心
- 誑(きょう):人を欺く心、騙そうとする心
- 憍(きょう):高ぶる心、自分を過大評価する心
これらの特徴は、善行の実践を妨げ、心の清浄さを損ないます。
これら十纏と九十九随眠と合わせて108の煩悩となります。
煩悩を分類すると以下のような一覧図となります。
108の煩悩の一覧
九十八随眠の完全体系
1. 八十八使の内訳(見惑:88種)
三界 | 四諦 | 貪欲 | 瞋恚 | 愚痴 | 疑 | 慢 | 身見 | 辺見 | 邪見 | 見取見 | 戒禁取見 | 計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
欲界 | 苦諦 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 10 |
集諦 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | × | × | 〇 | 〇 | × | 7 | |
滅諦 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | × | × | 〇 | 〇 | × | 7 | |
道諦 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | × | × | 〇 | 〇 | 〇 | 8 | |
欲界小計 | 32 | |||||||||||
色界 | 苦諦 | 〇 | × | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 9 |
集諦 | 〇 | × | 〇 | 〇 | 〇 | × | × | 〇 | 〇 | × | 6 | |
滅諦 | 〇 | × | 〇 | 〇 | 〇 | × | × | 〇 | 〇 | × | 6 | |
道諦 | 〇 | × | 〇 | 〇 | 〇 | × | × | 〇 | 〇 | 〇 | 7 | |
色界小計 | 28 | |||||||||||
無色界 | 苦諦 | 〇 | × | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 9 |
集諦 | 〇 | × | 〇 | 〇 | 〇 | × | × | 〇 | 〇 | × | 6 | |
滅諦 | 〇 | × | 〇 | 〇 | 〇 | × | × | 〇 | 〇 | × | 6 | |
道諦 | 〇 | × | 〇 | 〇 | 〇 | × | × | 〇 | 〇 | 〇 | 7 | |
無色界小計 | 28 |
2. 修惑の内訳(10種)
三界 | 貪欲 | 瞋恚 | 愚痴 | 慢 | 計 |
---|---|---|---|---|---|
欲界 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 4 |
色界 | 〇 | × | 〇 | 〇 | 3 |
無色界 | 〇 | × | 〇 | 〇 | 3 |
※ 重要なポイント:
- 身見は苦諦にのみ存在する(自分の固定不変の我への執着は苦諦にのみ関係するため)
- 色界・無色界では瞋恚(怒り)が起きない(非常に心地よい世界であるため)
- 修惑は知識の欠如ではなく感情的な迷いであり、断ち切るには特別な修行が必要
十纏(じってん)の体系
煩悩 | 読み方 | 基本的な意味 | 現代的な解釈と具体例 |
---|---|---|---|
無慚 | むざん | 恥じない心 |
自己反省の欠如
例:自分の過ちを恥じることなく、同じ間違いを繰り返す状態
|
無愧 | むぎ | 悪を恐れない心 |
道徳心・倫理観の欠如
例:良心の呵責を感じることなく、不正を行う状態
|
嫉 | しつ | ねたみの心 |
他者への妬みや嫉妬心
例:他人の成功や幸せを素直に喜べない状態
|
慳 | けん | 物惜しみする心 |
執着と吝嗇
例:必要以上に物や知識を独占し、他者と共有できない状態
|
悔 | くい | 後悔する心 |
過去への執着と後悔
例:過去の出来事に囚われ、前に進めない状態
|
眠 | みん | 無気力な心 |
精神的な怠惰と無気力
例:やるべきことがあっても行動を起こせない状態
|
掉挙 | じょうこ | 落ち着きのない心 |
心の不安定さと浮つき
例:常に気が散り、一つのことに集中できない状態
|
昏沈 | こんじん | 意識の混濁 |
精神の曇りと判断力の鈍り
例:物事を正確に認識・判断できない状態
|
忿 | ふん | 怒りの心 |
制御できない怒りの感情
例:些細なことで激しい怒りを感じる状態
|
覆 | ふく | 過ちを隠す心 |
自己欺瞞と真実の隠蔽
例:自分の過ちを認めず、言い訳や隠蔽を行う状態
|
まとめ
今回は、百八の煩悩の解説をしましたが、私たちを煩い悩ませる心がたくさんあり、仏教では深く考えられていることを知っていただければと思います。
この中でも特に、三毒の煩悩や、六大煩悩について、詳しく解説していきたいと思います。