一昔前と違い、学校教育だけではなく、多くの企業で、新しく仲間となる社員たちの教育に力を入れ、育成プログラムが用意されています。
あらためて教育の本質について考えてみましょう。
教育の本質
「教育」という言葉は、比較的新しい日本語です。
明治時代に英語の「education」の訳語として生まれました。
この「education」の語源をたどると、ラテン語の「educere(引き出す)」にまで遡ります。つまり、教育の本質は「引き出すこと」なのです。
この語源が示す通り、教育とは単なる知識の詰め込みではありません。
学生や新入社員一人一人が持っている可能性を見出し、それを育てていくことです。
例えば、ある生徒は数学が得意であり、ある生徒は国語が得意ということはよくあります。
新入社員の場合なら、ある人は創造的な問題解決能力に優れているかもしれません。また別の社員は、チームワークを高める特別な才能を持っているかもしれません。
一人ひとりにあった特性を引き出すことが、重要なのです。
このときに大切なこころがけが、布施の精神です。
布施の精神
親や教師、会社の上司などの指導者は、子どもたちや社員の中に眠る才能の芽を見つけ、それを大きく育てようと、皆さん考えられています。
しかし私たちは他人の欠点に目が行きがちです。
さらに長所はなかなかわかりにくいこともあります。
そのため、自分が得意とすることを相手ができないとき、「なんでこんなこともできないんだ!」と心配になり、焦り、苛立っている人を多くみかけます。
しかし、仏教の教えにある「布施」の精神があれば、そのような指導者は自分の間違いに気づくはずです。
布施とは「親切」の意味で、相手を思いやる心です。
指導者は、自分の「楽に早く教えたい」という都合をおしつけるのではなく、相手の立場にたって、才能や能力、やる気などを引き出そうとするのが、真の教育です。
相手の能力をうまく引き出せない自分自身に苛立つことは、反省につながりますが、苛立ちを相手にぶつけるのは布施の精神に反します。
布施の精神をもって、日本人の教育にあたることが、天台宗の理念でもあります。
常に布施の精神で接することは大変なことですが、教育者は常に精進の道を進ませていただきましょう。