私たちの運命は、どのようにして決まるのでしょうか。
仏教ではどのようにして運命が決まると教えられるのでしょうか。
大切な「問」
人生で最も頻繁に浮かぶ問い—「どうして私が」「なぜ私だけが」。
この問いに直面したとき、多くの人は「運命」という言葉で片付けようとします。
よくないことが起きたなら「運命だから仕方ない」「運が悪かった」とあきらめることも。
しかし、そもそも運命とは何なのでしょうか?。
この問いこそが、真の幸福を探す上で、最も重要な問いとなります。
なぜ「私として生まれた」のだろう
世界には多くの国があるにもかかわらず、私たちはなぜ日本に生まれたのでしょうか。
またなぜその地域に、その家に、その親のもとに、その容姿や性格に生まれることができたのでしょう。
それらの決定によって、大きく運命が左右されます。
神が決めたのでしょうか、親なのでしょうか、偶然なのでしょうか。
その運命によって、私たちの幸せ、不幸せが大きく変わってきます。
幸せな運命とはなにか、古代リディアの物語を紹介します。
クロイソス王とソロンの対話:幸福の本質
紀元前6世紀、小アジア(現在のトルコ)に、空前の繁栄を誇るリディア王国がありました。
その王クロイソスは、「クレーススの富」という言葉が残るほどの莫大な財宝を有していました。
賢者ソロンの来訪
ある日、ギリシャの賢人ソロンが王宮を訪れます。クロイソス王は、自らの栄華を誇示するかのように、王宮の全ての財宝をソロンに見せて回りました。
黄金に輝く宝物庫、豪奢な調度品、贅を尽くした宮殿の数々。
運命を決める問い
見学を終えた後、クロイソス王は、自信に満ちた様子でソロンに尋ねました。
「さて、ソロンよ。あなたの見聞の限り、世界で最も幸せな人間は誰であろうか」
王は当然、自分の名が挙がることを期待していました。しかし、ソロンの答えは意外なものでした。
「アテネのテロスです」
驚く王に、ソロンは淡々と説明します。
テロスは、栄える国に生まれ、健康な子どもたちに恵まれ、国のために名誉の戦死を遂げた市民でした。
更に二番目に幸せな人物として、アルゴス市の兄弟、クレオビスとビトンの名を挙げます。
彼らもまた、華やかな人生ではなく、家族への愛と誠実な生き方で人々の尊敬を集めた市民でした。
王には届かない言葉
自分が選ばれず苛立つ王に対し、ソロンは淡々とを語ります。
「人の一生は約7万日。その一日一日が、異なる運命を持っています。今日の栄華は、明日の没落となるかもしれません。一国の王でも最期を迎えたときには、貧しい民よりも不幸になっているかもしれません。」
王は納得がいかず、ソロンを愚者と決めつけ、冷たく追い出しました。
運命の皮肉
この対話から数年後、クロイソス王はペルシアとの戦いに敗れ、捕虜となります。
ペルシア王キュロスによって火刑を宣告された時、クロイソスは初めてソロンの言葉の深い意味を理解しました。
処刑台の上で「ソロン、ソロン」と叫ぶクロイソスに、キュロス王は不思議に思い事情を尋ねます。
クロイソスが語ったソロンとの対話に深く感銘を受けたキュロスは、人生の無常を悟り、クロイソスの命を助けました。
幸福の本質
クロイソス王の末路は、運命の無常を如実に示しています。
ペルシアとの戦いに敗れ、死の淵に立たされた時、彼は初めてソロンの言葉の真意を理解しました。
一時的な繁栄や富は、真の幸福とはならないのです。
幸福への道は運命を切り開くこと
いかなる絶望的な状況にも、希望は存在します。
なぜなら、運命は単に受け入れるものではなく、自ら切り開いていくものだからです。
真の幸福は、「幸せな運命」を獲得することにあります。
それは財や権力をはるかに超えた、人生の本質的な価値なのです。
幸福を追求する意義
真の幸福を追求するには、運命の本質を理解し、それと向き合う必要があります。
論理的な考察を通じて運命に迫ることで、真の幸福への道が開かれるのです。
「なぜ私が」という根源的な問いへの答えを探り、幸福な運命を獲得する方法を論理的に考察していきます。