仏教では、心とは何か、心がどのように働くか、について詳しく解明しています。
心の主体を「心王」または「八識心王」といい、心を8つに分けて教えられます。
まず八識について説明します。
八識とは
一般的なの6つの感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、意識)に加えて、第七識(末那識)と第八識(阿頼耶識または蔵識)があります。
精神分析学を専門とする心理学者・フロイトによって、「無意識」の存在を提唱しました。
フロイトは無意識の深さを次のようにたとえています。
心とは氷山のようなものである。
氷山は、その大きさの7分の1を海面の上に出して漂う。
しかし仏教では、2600年前から、意識より深いところにある心を解明していました。
八識とはこのような意味です。
前五識
眼識(げんしき):色や形を見分ける心
例:空の青さを見る、花の色を認識する
耳識(にしき):音を聞き分ける心。
例:鳥のさえずりを聞く、音楽を聴く
鼻識(びしき):匂いを嗅ぎ分ける心
例:食事の匂いを感じる、花の香りを嗅ぐ
舌識(ぜっしき):味を分ける心
例:食べ物の味を感じる、甘い・辛いを判断する
身識(しんしき):「暑い」「寒い」「痛い」「涼しい」など身体で感じる心
例:温かさ・冷たさを感じる、痛みを感じる
意識(第六識)
五感からの情報を統合し、判断・思考する働き
意識的な心の働き全般
例:
「この料理は美味しい」と判断する
「今日は寒いから上着が必要だ」と考える
計画を立てる、問題を解決する
フロイトのいう無意識もこの「意識」の範囲です。
前五識と意識を合わせて、「前六識」ともいいます。
この意識の下にさらに、深い心があります。
第七識(末那識)
自我意識を生み出す働き・執着の心。
例:「私は~である」という思い込み
自尊心や劣等感
第八識(阿頼耶識)
すべての業を種子として蓄える心の「倉庫」(蔵)
これら八つの識を合わせて「八識」といい、また「心王」とも呼びます。
「心」については、「心」「意」「識」といった漢字の使い分けがなされるので、簡単に意味を解説しておきます。
「心」「意」「識」という三つの言葉の意味
心と言っても、「心」「意」「識」の意味があります。
参考までにそれぞれ、別々に分けて意味を伝えると、
「心」には以下の2つの意味があります。
①縁慮: 心が外界の対象に向かって関わること。対象を認識し理解する働きです。
②積集(積載): 心が経験や記憶といった様々な現象「種子」を内に蓄える働きです。
「意」にも2つの意味があります。
①依止: 心が他の識を動かし始動させる基盤となること。
②思量: 常に心の中で思考し、考えを巡らすこと。
「識」の二つの意味は次のとおりです。
①了別(了別): 対象を区別して認識する働き。
②了粗: 大まかな外界の対象を識別する働き。
「心」「意」「識」は、それぞれ①の意味によるときは、八識全部に通じる意味となります。
一方、②の意味となるときは、個別にあてはまります。
つまり「心」の②の意味は、第八識(阿頼耶識)にのみ当てはまります。その他の七識には当てはまりません。
「意」の②の意味は、第七識(末那識)のことを指し、常に第八識の見分(認識する側の心の部分)を縁じて、思量し、我執を生じるとされています。
「識」の②の意味は、前六識(感覚)に関係しており、具体的な外的環境に対応します。
その他の名称
- 初能變(初能変): 第八識を指します。
- 第二能變(第二能変): 第七識を指します。
- 第三能變(第三能変): 最初の六つの識を指します。
- 七轉識: 前の七識(第一から第七識)は、苦や楽が転々と変わり、漏(煩悩がある状態)と無漏(煩悩がない状態)を転々と変化します。
一般的に「心」の意味は、八識を指し、縁慮の意味をいうのです。
心について、ここからさらに深くみていきます。
まず心は大きく「心王」と「心所」の2つに分けられます。
心王と心所について
「心王」とは、心の働きの中心部分(主体)で、物事を考えたり感じたりする根本的な部分です。
すべての心の動きの指揮をとるため「王」と呼ばれています。
「心所」とは、心王に従属し、具体的な感情や思考などを担う部分です。
例えば、怒りや喜びなどの感情が心所に該当します。
さらに心が境を縁ずる際に「總相」と「別相」の2つの働きがあります。
總相と別相について
「總相」とは、物事を全体的に俯瞰して見ることです。
例えば、木を見て「ただ緑だ」と感じるのが總相の視点です。
「別相」とは、その大きさや形状、色の濃淡の差異に注目して観察することです。
同じ木を見て、葉の形や色の違いに気づくのが別相の視点です。
「心王」は主に總相を捉え、「心所」は總相を踏まえつつ別相も観察します。
心王が物事を捉える際には、過去と現在と未来を識別する3種類の分け方があります。
三種の分別
「自性分別」は現在の具体的な状況や特性を識別するもの。
「随念分別」は過去の経験を思い出して考えるもの。
「計度分別」は過去、現在、未来にわたって、時間を超えた広い視野で物事を考えるものです。
具体的には、初めの五種の識(五感)と第八識は主に自性分別のみで、第七識は「自性分別」と「現在のみの計度分別」を扱い、第六識は3つの分別すべてを行います。
第七識は、「私」という概念を常に現在形で執着的に捉える。過去や未来への展開はなく 「今、ここにいる私」という意識を持続的に形成する。
末那識は、意識的に無意識的に、第八識(阿頼耶識)を「自分の本体」として執着的に認識する心なのです。
唯識はただの学問ではありません。
私たちが幸福になるためには、まず自分の本当の姿(心)を知ることが大切になります。