金海山大恩教寺釈迦院は、昔からぽっくり寺と言われています。
ぽっくりと聞くと「参拝したら突然死する寺」をイメージする人もいるそうですが、そうではありません。
ぽっくり寺は、「信仰すれば長患いせず、無病息災で生きられるという功徳がある寺」という意味です。
なぜ、ぽっくり寺が観光地として人気になったのでしょうか。
それは人々が人生の終わり方を、意識するようになったからです。
どういうことでしょうか?
まずはぽっくり寺の名前について、少し掘り下げてみます。
「ぽっくり寺」という呼び名
「ぽっくり」とは、突然のさまを表す擬音語です。
苦しまずに急に死ぬことを「ぽっくり往生」とも呼びました。
そこからお寺に参って、信仰することで長患いしないという功徳がある寺を「ぽっくり寺」と呼び、名称が定着していきました。
特に注目された理由は、時代背景にあります。
ぽっくり寺が注目された背景
1970年代以降、日本は高齢化社会に突入し、ぽっくり寺が注目を集めるようになりました。
老化とはどういうことかを、意識するようになったからです。
私たちは年齢があがってくると、だんだんと苦しみが多くなります。
老化に対して、どのような気持ちがあったのでしょうか。
すべての人の老化への思い
高齢者とたくさん接する中で、多くの人が次のような願いを持つようになりました。
- 長期の寝たきりにならず、最期まで自立した生活を送りたい
- 家族に介護の負担をかけたくない
- 尊厳を保ったまま人生を全うしたい
せっかく長く生きても、寝たきりであったら面白くありません。体が動き、健康的でいきるからこそやりたいことができ、美味しくご飯が食べられ、まじめに仏教を学ぶこともできます。
また寝たきりになると介護される必要があります。身内が介護を引き受けてくらるかもしれませんが、依頼する方は恥ずかしく、心苦しくなります。
さらに認知症になれば、穏やかな人が暴言を吐いたり、自分ではトイレにいけなくなります。せめて穏やかで、誰にも嫌な人・めんどくさい人と思われずに生きていきたいのが私たちの本音です。
これらの老後の苦しみを仏教では、「老苦」といいます。四苦八苦の苦しみの一つです。
老苦を受けないために、ぽっくり往生したいと、人々が願うのも無理ありません。
この老苦の苦しみをなくすために、どうしたらいいのでしょうか。
長患いという老苦への対応
私たちの人生は、因果の道理(自業自得の道理)によって決められます。
因果の道理とは、次のような教えです。
善因善果……善い行いをすれば、善い結果(幸せ)が現れる
悪因悪果……悪い行いをすれば、悪い結果(不幸)が現れる
自因自果……自分の行為の結果は自分に現れる
この因は、因と縁のことですから、因縁果の道理とも言われます。
つまり人生を良くしたければ、因(行為)を変えるか、縁(環境)を変えなければなりません。
将来に老苦があると知りながら、不摂生な生活(悪因)をしていないでしょうか。
少しでも老苦を減らそうと、トレーニングをしたり、新しいことに挑戦して刺激を得ようという心がけ(善因)はありますでしょうか。
老後にそなえて、バリアフリーにするなど動きやすい部屋(善縁)にしたりしているでしょうか。
仏教では、願と行がそろわなければ、結果がでないと教えます。
まずは長患いしないと、願わなければいけません。願わなければ行動しないからです。
ダイエットも同じです。まず痩せよう!と思わなければ、二度と体重は減りません。
しかし願うだけでは、結果はあらわれません。
これもダイエットと同じです。願っているだけで体重は減りません。
かならず「行」が必要です。できることから行動しましょう。
釈迦院に参拝した際には、長患いをしないという願を立てます。
そこで冷静に、静かにご自身の生活習慣を振り返り、悪い所があれば、正しい生き方に少しづつかえる機会にしていただきたいのです。
たとえば、リモコンを遠くに置くなど、毎日ちょっとずつ身体を動かすとか、TikTokデビュー?をしてみるなど、子供や孫に聞きながら新しいことに挑戦するとか、釈迦院から帰ったら部屋の整理整頓をするとかです。
ちょっとでも善に向かって生き方を変えていただければ、人生が少しづつ好転します。
生死(しょうじ)を考える機会に
しかし、ぽっくり寺の本質的な意味は、単に「苦しまない死」を願うことではありません。
むしろ、私たちは普段、死について考えることを避けがちです。
生と死の両極を見極めないで、人は徒に嘆き悲しむ
釈尊
生と死を見つめることが、重要なのです。
ぽっくり寺は、私たちにとって「どのように生き、どのように最期を迎えたいか」を考えるきっかけとなります。
長生きするだけでは、本当の幸せとは言えません。仏教を聞いて本当の幸福とは何か、老病死を超えた幸せとはなにか、考える機会にしていただきければと思います。
おわりに
誰もが願う「安らかな最期」。
しかし、それは単なる偶然ではなく、日々の生き方と深く結びついています。健康管理、家族との絆づくり、生きがいの発見など、今できることから始めていくことが大切です。
そして仏教を聞き、学んだことを実践することこそが、心と身体をもっとも健康にします。
なぜなら仏教は「真実の教え」だからです。偽りがありません。
ですから人生において少しでも仏教にふれ、仏縁を深めることが大切です。
さらにぽっくり寺である釈迦院での参拝は、私たちが「死」を考える場となり、そのまま、より深く「生」を見つめ直す機会となります。
これからも釈迦院で、人生を見つめ直す場所にしていただきたいと思います。