唯識(ゆいしき)は、すべての存在が「心の作用」によって現れるという教えです。
外界の存在すべてが、実は私たちの心が生み出した「現象」であり、心外に独立した実体は存在しません。
「唯」と「識」
唯識は「唯」と「識」のそれぞれに意味があります。
唯:これは「簡持(けんじ)」の意味があり、外的な物質的存在を「実体がある」と固執する迷った考えを否定します。
識:「了別」つまり「認識する」の意味で、すべての物事が内心から生じる現象であることを意味します。
中道を悟らせるため
唯識は、完全に実体のある「有」(存在)でもなく、完全に何も無いという「空」(非存在)の二元論を避け、非有非空の「中道」を教えます。(ここでの「空」は「無」の意味。諸法無我の意味ではありません。)
非有でも非空でもない中道の悟りの世界に入れるために、唯識という名称を用いているといいます。
唯識論述記序によると
唯は謂く、簡別して外境無きを遮し、識は謂く、能く了して内心有るを詮ず
(唯謂簡別遮無外境識謂能了詮有內)
または
唯は境の有るを遮し、有を執する者は其の真を喪い、識は心空を簡び、空に滞る者は其の実に乖く。所以に斯の空有に晦く、長く二辺に溺れ、
彼の有空を悟りて、高く中道を履む
(唯遮境有執有者喪其眞識簡心空滯空者乖其實所以晦斯空有長溺二邊悟彼有空高履中道)
とある
総門と別門
唯識の理解を深めるために「総門」と「別門」の2つのアプローチを用います。
総門の唯識
これはすべての現象が心が生み出す、ということの全体的な内容を説明します。
心を8通りに分けて教える「八識」のうち、第八識にあたる「阿頼耶識」が私たちの本心であり、すべての現象の源であり、すべてはこの心と不離であると教えます。
真如(究極の真理)も心と切り離せません。
別門の唯識
別門では、より詳細に心の作用を五つ(五法)に分けて説明します。
それぞれ心王(心の本体・八識)、心所(心の作用)、色法(心が生み出す物質的現象)、不相応法(これらが組み合わさる作用)、無為法(永遠不変の真理)として、これら五法がどのように心識に関連しているかを明らかにします。
別門の唯識は、五法事理の唯識とも言われます。
五法事理
事(現象界)
├── 心王:識自相故不離識
├── 心所:識相應故不離識
├── 色法:心王心所所變故不離識
└── 不相応法:心王心所色法分位故不離識
理 (真如)
└── 無為法前四法實性故不離識
心のがうみだした現象とは
心(心王や心所)の作用によって、色法と呼ばれる物理的な現象が生じます。これらの現象もすべて心から生まれるため、独立した実体ではありません。これにより、「心から離れた別の存在はない」と理解されます。
例えば、夢を見ているときのようなものです。私たちが経験する世界は、夢のように、すべて心が作り出したものです。しかし、この世界は単なる幻想ではなく、心が生みだした現象なのです。
この理解によって、極端な実在論でも虚無論でもない中道の悟りの境地へと導こうとします。
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