投稿一覧
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伝教大師の入唐求法 ~命がけの仏教伝来の旅~
伝教大師最澄の、入唐求法の旅について、説明します。 遣唐使船団への参加 804年(延暦21年)9月、伝教大師は朝廷から重要な許可を得ました。 中国への留学(入唐求法)の許可です。 ただし、この許可には「1年以内に帰国すること」という条件が付されてい... -
平安遷都における桓武天皇と伝教大師の関わり
今回は、桓武天皇が平安遷都をされるにあたって、伝教大師が重要な関わりをされていたことについて解説します。 奈良時代末期の混迷 奈良時代の末期、都は深刻な危機に直面していました。 表面的には絢爛豪華な都の姿を見せていましたが、その実態は政治と... -
三時敎の中の了義経と不了義経
法相宗ではどのようなお経を「了義経」「不了義経」としているのでしょうか。 「了義」とは完全円満真実であるということ。つまり了義経とは真実が説かれたお経という意味です。「不了義」とは、真実ではないということ。つまり不了義経とは未だ真実が説か... -
伝教大師最澄 天台宗開宗への道
伝教大師最澄が、天台宗を開かれるまでの経緯を、解説します。 混迷する仏教界の実態 伝教大師最澄が生まれた8世紀末の仏教界は、深刻な危機に直面していました。 寺院は豪華な外観を誇っていたものの、その内実は完全に腐敗し、一般の人々の生活からは大... -
説教の三時
法相宗では、釈尊の説教を、3つの時期に分けて整理します。 3つの段階は、凡夫や修行者の理解の段階に合わせて説かれたものとします。 第一時(有教) 初期の「有教」といわれる段階では、仏陀は大宇宙に法(物事の構成要素)は存在(有)すると許容しまし... -
法相宗判教の典拠
法相宗(唯識)の教判は、お釈迦様の言葉である仏説が直接記された経典、特に『解深密経』に基づいています。 勝義生菩薩、復た仏に白して言わく、『世尊、初めに一時、波羅奈斯の仙人堕処施鹿林中に於いて』等々、『世尊、在昔の第二時中に、唯だ大乗を発... -
判教の綱格(基本的な枠組み)
判教(教相判釈)の綱格(基本的な枠組み)について説明します。 釈尊が35歳から80歳までの45年間説かれた教えを、今日仏教といいます。 仏教には、大乘仏教や小乘仏教、多様なものがあり、一般の人では何が書かれているのか判断できません。 そこで、仏教を... -
判釈(教えの分類)の必要性と大乗仏教の正統性
唯識の教相門について、しばらく話を進めます。 もともとすべての経典や論が同じ内容(一味)であれば、分類や優劣をつける必要はありませんでした。 しかし、大乗仏教と小乗仏教の分かれが生じ、異なる主張が出てきたため、教えを分類したり体系付ける「... -
「唯識」という名称の意味
唯識(ゆいしき)は、すべての存在が「心の作用」によって現れるという教えです。 外界の存在すべてが、実は私たちの心が生み出した「現象」であり、心外に独立した実体は存在しません。 「唯」と「識」 唯識は「唯」と「識」のそれぞれに意味があります。... -
すべての現象は心から生じる「攝境従心」
「攝境従心」の論法と、「性相別論」の法式の違いを説明します。 攝境従心(しょうきょうじゅうしん) 「攝境従心」とは、「すべての現象(境界)は心から生じる」という理論です。 これは、三界(欲界、色界、無色界)がすべてただ一つの心から成り立って...